INTERVIEW

Artist #30 富田直樹

この度のアーティストインタビューでは、CAF賞2015(https://gendai-art.org/caf_single/caf2015/)にて入選・前澤友作特別賞を受賞された富田直樹さんをご紹介いたします。富田さんは厚塗りの油絵具を重ねる手法で、大都市近郊の風景や空きテナントのファサードや、職業を持たないフリーターの若者を描くペインティングを制作されています。2016年に行われたCAF賞選抜展でもフリーターのポートレート「No Job」シリーズ100点を展示してくださいました。今回は、MAHO KUBOTA GALLERYで開催された個展「ラストシーン」のお話から制作の背景にある想いについてまで、富田さんにお話をお聞かせいただきました。

--今回の個展「ラストシーン」は、富田さんにとってMAHO KUBOTA GALLERYでの3度目の個展です。ご自身のお葬式をテーマに走馬灯をイメージされて作品を展示されているとお話しされていらっしゃいますよね。展示のタイトルやテーマについてお聞かせいただけますか。

富田:自分の展覧会をこの先もう一回やれるかとか、作品をいつまで描けるかは誰にも分からないですよね。もしギャラリーがやってくれるって言っても、僕が死んじゃうかもしれない。だとしたら自分の頭の中に強く残ってる映像、ずっと残っているあの時に撮ったあの一枚というのを今描くべきなんじゃないかなって思ったんです。それは決して自分の中でいいものじゃなかったり、見たいものじゃなかったりするんだけど、やりたいことがあるんだったら最後だと思ってやっちゃおうって。

展示している作品は、僕が10代の時にちょっとやんちゃ系の子たちと一緒にいた時のシーンなのですが、自分の中では封印していたんです。別に人に自慢できることでもないし、楽しい思い出でもないから。あれから20年が経ったので一回蓋を開けて振り返ってみようと思って、展覧会の場を借りて今の僕が過去の自分をお葬式で送って成仏させるようなイメージです。

元々タイトルは、過去の自分に送る言葉の代わりの絵として「弔辞」にしようと思っていました。だけどそれをギャラリーオーナーの久保田さんに提案したら「ちょっと暗いね」と言われ、「ラストシーン」と綺麗な言い方に変えてくれた。自分の絵を見ながら「ラストシーン」って聞いた時に色々僕の中で繋がったんです。当時一緒にバイクに乗って走ってた仲間たちと聴いていたBOØWYの布袋さんの「ラストシーン」という曲があったり、僕の過去の記憶の場面場面を映すという意味でも繋がるし、走馬灯って記憶の展覧会だなって思ったんですよね。

--一度区切りをつけて過去を見送って、新しい富田さんに生まれ変わる。実際に過去の記憶の面々が一堂に介した空間を、改めてご覧になっていかがでしたか?

富田:並べてみて、恥ずかしいですよね。人に胸張れるようなことじゃないんで、本当は隠したいものを見せてるような気がして、いいのか悪いのかが未だに分からない。説明的にお葬式のような演出をすることもできたけど、僕にとっては一場面一場面を並べることが過去の自分に対しての決着でした。

生まれ変われているのかは分からないけど、一回描くことで消化するような気持ちです。過去を受け入れるという感覚なのかもしれない。今までは当時の写真を見ないようにしてたんですけれど、それを時間をかけて描くには自分の中で一回受け入れなきゃいけなくて、そこまでに20年かかったなって感じです。

土曜日/Saturday、2021年、181.8 x 227.3cm
撮影:木奥惠三

カラオケ/Karaoke、2021年、73 x 91 x 3.5cm
撮影:木奥惠三

富田直樹個展風景
撮影:木奥惠三

--今までは人がいない風景を描かれていましたよね。過去のインタビューで「いかにして"無"を描くかをいつも考えていた」とお話されています。今回はテーマ上、お知り合いの方だったり、富田さんご自身の姿を描くことになったと思います。

富田:それもテーマ的には一緒です。生まれ変わるってことは一回死んでから生まれ変わる訳ですけど、その中間地点って「無」だと思うんです。一度過去の自分を見送って、今日からの自分の中間、そこは僕にとってはやっぱり「無」ですね。

最初の肖像画の「No Job」シリーズでは職業を失ってまた始まるところ、次の風景のシリーズもスクラップアンドビルドをテーマに再生までの地点を描いている。他人を描いて街を描いて、次に何をやるかなって思ったら自分自身だなって思ったんですよ。描いてる図像としては人も風景もあるんですけど、一度自分を再生したりやり直すという意味で記憶のイメージを使っているだけなので、やっていることとしては同じです。よく宇宙が始まる時のビッグバンって「無」から爆発が発生して「有」になるって言いますよね。ゼロからイチって出てくるんだなって。

--作品で「無」を表現されるようになったのは昔からなのでしょうか。学生時代から継続して取り組まれているのでしょうか。

富田:多分そうだと思うのですが、その時は言葉にはできていませんでした。なんで自分がこの景色を綺麗だと思ったんだろう、なんでこれを描きたいんだろうという理由が分からなかった。例えば、なぜフリーターを描くんだろうと考えたときに、いろんな理由がありすぎちゃって一つに絞れないんですよ。でも、いろんなモチーフを書いてくうちにその中で共通していること、「無」の状態であるとか、再生させて生まれ変わるとか、それが無限に続いていってほしいという願いや想いがあると気づいて、大学院くらいの時に言葉にしましたね。

--全てが続いていってほしいという願いがずっと制作の根底にあるんですね。

富田:ありますね。よく人は生まれ変わっていくと言いますけど、そうあってほしいなと思うんですよね。自分の大切にしている人とか、ペットとか、ものでもいい、それが目の前で壊れたらそこで<終わり>と言われちゃうよりは、別の生き物でもいいから何かしらの形に変わって、せめて生まれ変わってほしいなっていう気持ちです。全てのものがいずれ終わると思うんですが、終わって完全にこの世からなくなっちゃうっていうのは悲しい。生まれ変わる、そうであってほしいなという願いですよね。

「無」っていうものが証明できたら、命がそこから生まれるということも証明できるんじゃないかな。ゼロからイチは生まれる、ということが証明できたら永遠の繰り返しっていうものもあるんじゃないかと思える。

--描くことでそれを探りたいという気持ちがあるから、「無」の状態に一貫して自然と惹かれていく。

富田:今の興味がそうなのかなと思いますね。コンセプトと言っても過去の自分が立てた仮説だから、今日の僕にそのまま当てはまるとは限らない。だから常に疑っているんだけど、今のところはあまりブレてないですね。自分の立てたコンセプトに縛られるのはよくないと思うんだけど、今改めて考えてみると結果的に一貫してるなって思いました。

2016年に行われたCAF賞選抜展展示風景
「No job series」
撮影:OMOTE Nobutada(表 恒匡)

--フィクションは描かないとお伺いしました。原則的にご自身が撮られたお写真を元にペインティングされています。リアルをそのままに絵画に昇華することは、富田さんにとってどのような意味を持つのでしょうか。

富田:イメージの再現だけだったら写真でいいなと思うんですけど、僕の場合は一筆描いて、その上からさらに濃い絵の具を被せて修正していくんです。結果的に重なって凹凸ができていくんですけど、それってさっき言った話と一緒なんですよね。街だって作っては潰して作っては潰して常に完成なんてない。それと一緒で、絵も修正して修正して、歪みや厚みが出てくる。それは、その場面の色や光しか再現できない写真にはできないことなんです。修正を重ねるという行為が加わらないと、生まれ変わっていくこと、常に変化していくということを僕自身が証明できない。世の中の構造と同じ行為を使って絵を描いていくことで、初めてイメージと行為が一致していくんです。

時間かかるんだったら最初から絵の具を厚く乗せればいいじゃん、と言われることもあります。でも最初から完成を予測して似たようなテクスチャーで代用することになっちゃうから、それは違うんです。結局、絵の具の厚みは自分のやった行為の結果でしかない。薄くたって本当はいいんですけど、でもやっぱりやり直してやり直して重ねていって、完成はないんだけど、一旦これはこれで仕上がりというやり方をしています。

--たくさんの時間をかけて制作されていて、その時間が作品になくてはならない要素なのですね。

富田:時間はかかりますね。結果としては写真のイメージを再現してるだけなんだけど、その過程で重ねる行為が入らないと、出来上がったものに写真とは違う雰囲気が出てこないんで、自分が納得するまでやるので結果的に時間が必要になってしまいます。

--制作の終わりについては、どのように決められるんですか?

富田:この街に完成がないのと一緒で、終わりはないんです。やろうと思ったら永遠にできるけど、自分が言いたいことは最低限言えてるなという瞬間があって、それをもって一応完成としています。でもコーティングとかフィニッシュの溶剤はかけないですね。それをやったらそこで完成を決めることになっちゃうから。まだ続くよって言いながら連載が止まっちゃってる漫画と同じような。完成したら、「死」しかないじゃないですか、先を無くすのって嫌だなって思って。

夜明け/Daybreak、2022年、91 x 91cm
撮影:木奥惠三

夕暮れ/Twilight、2021年、112 x 145.5 x 3 cm
撮影:木奥惠三

Tokyo(Odaiba)、2022年、38 x 45.5 x 2 cm
撮影:木奥惠三


--キャンバスの上部に絵の具がのらずに白いまま残っている作品を拝見しました。(上の写真の作品)

富田:風景を描く時にはたまにあるんです。撮った写真をキャンバスに描くときに、この車はキャンバスのここに入れたいとか、ここに人が歩いててほしいと思って写真に合わせて同じ位置に描いていくのですが、写真は大雑把に撮っているのでたまに写っている部分が足りなくなる時があるんですよ。僕は見えた部分しか描かないので、足りない部分は見えないんだから描かないという不器用な感じになってるんです。想像で描いちゃってもバレないし、みんなそうやって埋めてるかもしれないんだけど、嘘を描きたくないんですよね。

--徹底して事実しか描かない。

富田:この世の中に存在してるものを僕の意志で消せないじゃないですか。反対に生み出せもしないし。そこに歩いてる人がいるのに、絵的に見たらいらないから消そうというのは、その人の存在を僕が勝手に消してるみたいで嫌なんです。僕はその人がいるからその景色が綺麗だと思ったかもしれないし、その人がいるから車がそこを避けるように曲がって、後ろのタクシーも動いて、それでこの世界が成立してるかもしれない。バタフライエフェクトじゃないけど、自分が絵を一枚描くために世の中の秩序をずらしたら僕が本当に描きたかったものじゃなくなっちゃう気がしてしまうんです。

--以前富田さんが所属されていたスタジオ航大にお伺いさせていただいたことがありますが、そちらを出られたとお伺いしました。

富田:はい、2年前くらいに出ました。ずっと前から1人でやりたいとは思っていたのですが、展覧会やコミッションワークの予定があってまとまった時間が取れずに動けなかったんです。2年前に行った前回の個展で結果的に作品が全部売れてお金にも少し余裕が出たタイミングで予定が何も入ってなかったんですよ。あと、ちょうどその時に大きい台風があってアトリエの屋根が飛んじゃって、僕のアトリエの上が完全にオープンエアみたいになっちゃって・・・。

そんな風にいろんなタイミングが重なったので、これはもう出ろってことなんだろうなって思って。僕にとっては、遅くなったけどようやくスタートに立てたという感じです。規模も狭くなったし家賃も高くなったけど、いずれやらなきゃいけないとは思ってたので、作家としてどこまでやっていけるのかなという挑戦でもありますね。

--複数人でシェアされていたアトリエから独立し初めてお一人だけの環境で制作をされてみて、環境の変化はありましたか。

富田:今までシェアアトリエの時は誰かしら話し相手がいたから、人と喋らない日が続くとおかしくなっちゃうかなと思ってたんですけど大丈夫でした。朝起きて、ごはん食べて、アトリエに行って、少し買い物をして夜まで制作というのを330日くらい繰り返してる。そういう気質だったんだなってこの2年で気づきました。制作中はYouTubeの音声だけ聞いてます。

--差し支えなければ、YouTubeでは何を聞かれているかお聞きしてもよろしいでしょうか?

富田:最近は怪談を聞きますね。昔は怖い話は絶対ダメだったんですが、意外と声を聞くだけで成立するものがなくて、ずっと流しっぱなしでも聞きやすいんです。落語などを聞いたりもしましたが、なんだかちゃんと聴かなきゃいけない気がしちゃって。怪談だと、聴いてるようで意外に聴いてなかったりするけど、所々刺激があるからちょうどいいんですよ。

--怪談!意外なお答えです。怖い話がお好きなのですか?

富田:宗教を全部受け入れるとか、数珠を買うとかはないんですけど、霊とかはあると思うんですよ。ないって言ってる人たちはなぜないと断言できるだろうって思います。僕からしたら携帯電話で喋ったりインターネットしてることだって魔法みたいで、構造が分かってないですから未だにどうなってんのって思うし。

--目に見えるそのままの世界を作品に描き、目に見えないところにも惹かれているんですね。

富田:芸術って見えないものをいかに描くかってことだと思うんです。過去の作品でもそうですけど、神様を描くのもそうだし、ピカソのキュビズムも、未来派のスピードを描くっていうのもそうだと思うんですよね。僕は見えてる図像を描くんだけど、そこにテクスチャーが加わることで凸凹とか修正の跡を見て、見えないはずの表面の奥の部分を感じることができる。

世の中がそういう感じになってきてる気がするんですよね。漫画でも「呪術廻戦」とか「鬼滅の刃」、暴走族漫画でもタイムリープして未来を変える話が流行っている。今のこの世界に対して目を背けたいというか、もしくはここではないどこか、今ではないいつか、というものに対してみんな興味があるのかなと感じています。

--今回の個展を経て、今後やってみたいことなどは浮かんでいたりしますか?

富田:なんとなく描いてみたいモチーフや、手法はあります。だけど、まだやっていないことをやりたいって言うのってあんまり好きじゃないのと、手を動かしてみないとしっくりくるかが分からないので、やってみてって感じですね。

自分がやりたいこともそうですが、世の中がどんどん変わってくとそれに合わせて自分の興味も変わっていくと思うんです。今はこれを表現したいというのがあっても、これから自分の中で新しい価値観が出てきたりすると思うので、それに合わせて絵も変化していくのかなという気はします。僕が決めるというより、世の中が決めるのかもしれないですね。

開催概要

タイトル:ラストシーン
会期:2022年3月2日(水)〜 4月2日(土)12:00 - 19:00、日月祝日休廊
会場:MAHO KUBOTA GALLERY(東京都渋谷区神宮前2-4-7)
https://www.mahokubota.com/ja/exhibitions/3527/


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富田 直樹 | Naoki TOMITA


1983 茨城県生まれ
2012 京都造形芸術大学美術工芸学科洋画コース (総合造形ゼミ)卒業
2015 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程油画専攻修了

個展

2019 「東京」MAHO KUBOTA GALLERY(東京)
2018 「さざなみ」つなぎ美術館(熊本)
2016 「郊外少年/suburban boy」MAHO KUBOTA GALLERY(東京)
2015 「INSTANT」CC4441(東京)、「Project N 60 富田直樹」 東京オペラシティアートギャラリー4Fコリドール(東京)
2012 「いつか」 (RADICAL SHOW 2012年京都造形芸術大学エマージングアーティスト展II期 SOLO SHOW)渋谷ヒカリエ8/CUBE 1,2,3 (東京)

グループ展
2020 「アーティスト・イン・レジデンスつなぎの軌跡 つなぎだョ!全員集合」つなぎ美術館(熊本)
2017 「Mabini Projects presents: L J Ablola, Naoki Tomita」 Casa Tesoro、マニラ
2015 「アートアワードトーキョー丸の内2015」丸ビル1階 マルキューブ(東京)、「嵯峨篤・柴田健治・富田直樹 展」SUNDAY Café(東京)、「NINE COLORS IX」西武渋谷b館8階 美術画廊・オルタナティブスペース(東京)
2014 「Some Like It Witty」Gallery EXIT(香港)、「太郎かアリス vol.5:東京藝術大学油画第7研究室 (O JUN)」TURNER GALLERY(東京)、「宮島達男:コラボレーションプロジェクト Counter Painting 2014」(嵯峨篤×宮島達男, 柴田健治×宮島達男, 富田直樹×宮島達男)CAPSULE Gallery(東京)、「嵯峨篤・柴田健治・富田直樹 展」 SUNDAY Café(東京)

受賞歴
2015 第30回ホルベイン・スカラシップ奨学者認定(東京)、CAF ART AWARDS 前澤友作特別賞(東京)
2012 京都造形芸術大学卒業製作展 瓜生山賞(東京)
2011 京都造形芸術大学 優秀学生賞(京都)

Contemporary Art Foundation