INTERVIEW

Artists #8 松下まり子

9月16日より、東京・KEN NAKAHASHIにて、松下まり子さんの個展が開催されています。松下さんはCAFAA賞2016(http://gendai-art.org/cafaa2/award/index.html)でグランプリを獲得。17年にはCAFAA賞のグランプリの副賞である英・ロンドンのデルフィナ財団のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムに参加されました。
これまで松下さんは、性的な肉体などを描いた数多くのペインティングやドローイング、各地で集めてきた赤い布で部屋の窓を覆うインスタレーション「赤い部屋」、ロンドンの街中に生息するキツネを追いかけて制作した映像作品「Little Fox in London」など、絵画表現だけでなく、パフォーマンス、映像、写真、詩、立体など多岐にわたる表現方法を展開。どの作品にも<剥き出しの生を希求する心>が込められています。
本展では、2019年の後半から描き始めたペインティングを中心に新作を発表、松下さんにCAFAA賞2016最優秀賞獲得後の変化から、本展についてまでお話を伺いました。

--松下さんはCAFAA賞2016において見事最優秀賞を獲得され、賞金の他に副賞で英・ロンドンのデルフィナ財団(https://www.delfinafoundation.com/)のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムにも参加されました。渡航前と帰国後、作風だけでなくご自身にも大きく変化があったように思いますが、いかがでしょうか?

松下:「Plus ça change, plus c'est la même chose 物事は変われば変わるほど、ますます同じものである(アルフォンス・カー)」、という言葉があるように、あちこち渡航して色々なものを見、表面的には変化もありましたが、自分の核になる部分は変わっていません。絵を描くことは実は二次的なことで、核の周りを回っていて、本当はどんな手段でも構わないんです。
私は自分の心がどうなっているのか知る必要があるし、そうしないとおかしなことになってしまうことがよく分かっているんです。

CAFAA賞2016・松下まり子最優秀賞受賞作品

--ロンドンでのレジデンシー・プログラム参加期間中は、絵画作品に限らず、現地にあるものや環境を使って試行錯誤し、いろいろなジャンルの作品を制作されていたとお聞きしました。

松下:そうですね。アーロン(デルフィナ財団ディレクター・CAFAA賞審査員)に、マリコはパフォーマンスには興味はないの?と勧められたこともあって、いろいろな方法を試していました。
絵を描くという行為は思考する装置のようなもので、自分の考えや心を知ることができるなら、他の方法でも構いません。
心の中に世界が複雑にあるんだけど、それを通して他者を見たり世の中の様々な動きを見ようとしているんです。
今回の展示の文章にも書きましたが、心の世界と、物の世界があります。心の世界に自分は入っていって、物の世界を見つめなおす。そのとき、現実に肉体のある自分はただ停止していられないし、手を動かして考えてる。変な言い方ですが、すごく真面目にやっているんです。そうすると絵がやってきてくれる。

--絵を描くことは松下さんにとって、ある種の言葉のようなものなのでしょうか?

松下:言葉も好きですが、意味を限定する力が強いと感じます。
人間は意味の中毒で、物事をそのままにしておけないんです。なんでも分解して、理解しようとする。ただ「然り、然り」と応えて、分からないものを分からないまま受け入れることが難しい。心の中を知ることは、定まった答えを得ることではありません。だから絵は言葉ではないですね。ぐにゃぐにゃ変化する旅のようなものです。

最近の絵にヒモのようなものが出てくるんだけど、あれが装置のつもりです。だらっとしたホースや内臓みたいなもの。絵の中の人たちは、あの臍の緒のような管で他者とコネクトしようとしてるんです。それはこんがらがっていたり、途中で切れていたり、ズルズル引きずっていたり、困惑してる。「昼の言葉」でいえば、それが絵画だったり、言葉だったりする。でも各々が途切れ、人間は他者とも、自然とも、ぶつ切りになっちゃってる。歴史の中に愕然と立ちつくしている。

神話
2020 / キャンバス、油彩 / 130.3 x 97 cm

--コロナウイルスの影響で国外はもとより、国内の外出もままならなかったり、息苦しい環境に一変しました。松下さんのこの半年間の制作活動やご自身の生活はいかがでしたか。

松下:コロナウイルスに関することは、私にとって、昨年の夏にポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を訪れたときから続いているんです。ちょっと長くなりますが、関係のあることなので話します。

アウシュヴィッツ博物館はいま、実際に使用されていた建材を使って、ガス室や拷問に使われた部屋が再現されています。ナチスが撤退時に爆破していったものを復元してあるんです。日本語を話すガイドの方も沈痛な面持ちで「ここは死者を弔うための場所です」と一言目からすごく真剣でした。有名な、髪の毛の山や、靴の山はもちろんですが、私がひどく衝撃を受けたのはその『広さ』でした。
荒涼として、無情で、圧倒的な広さに打ちのめされてしまいました。
私は子供の頃から、自分の生きている状況を『小さい戦争』と名づけ、肌を金属のヤスリで削られるような痛みを感じていました。そして自分も含め、人間はなぜ悪をなすのか、人はなぜ人を殺すのかを考えてきました。
アウシュヴィッツは歴史の証拠を突きつけてくる所です。私は神経を擦り減らすほど疲れ切ってしまいました。

見学の後はクラクフの宿に戻りました。普通のアパートメントを貸しているだけの安い宿で、私は一人旅でした。
そこで私は、ノックの音を聞きました。残りの二日間に、三回もです。
私はそれまで幽霊とか、そういうものを一切信じていなかったし、見たこともありません。場所は洗面所です。疲れて、顔でも洗おうと中に入ったとき、ドアが、コンコン、と鳴りました。

鏡のある場所だし、私は神経がガシャガシャに逆立っていたし、氷水を浴びたように怖かった。コンコン、という音は、三回目には急かすように早い、コンコン!というノックに変わりました。
私はもう悲しくて堪らなかった。その音が、子供が叩くような低い位置から聞こえること。アウシュヴィッツからついてきた誰かだとしたら、あんなに酷いことが何百万もの人々に起こったのに、できることはたったひとつ、コンコン、とノックするだけだということ。
私は怖くて悲しくて、血の中を氷が流れるように戦慄したんだけど、わかったよ、私のところへ来たんだね、あなたを描くよ、と心の中で約束しました。

ドアは境界です。生と死や、生きている人間には理解できない徴(しるし)のようなものを誰かがくれたのかもしれない。
このことは、アウシュヴィッツに行ったことと切り離せない記憶になって焼きついています。

帰国後、油絵の制作を再開して、今度はコロナウイルスが世界中に蔓延しはじめました。
ウイルスは本来自然のもので、それ自体が悪意をもっているわけではないと思います。ところが、私たち人間の反応はどうだったでしょう。誰かのせいにしたり、差別が加熱したり、感染源だとみなしたコウモリを何百匹も焼き殺したニュースもありました。見知らぬウイルスは人類への脅威だと意味づけされ、それに便乗した様々な悪意が溢れかえってくるようでした。
作業場所で絵を描いていても、心の世界が地震や地割れを起こし、もしかしたら完全に絶望しきってしまうのではないかと思いました。なんだかもう限界かもしれないと思っていたある日、世界がぜんぶひっくり返ってしまうような感覚がし、何もかもが反転してしまいました。
今では、黒色というのはあったかい色に感じるし、キイロは心臓が止まってしまいそうな色です。何かがすっかり変わってしまい、その感覚はしばらく続いて、だんだんともとに戻ったようにも思うのですが、絵もずいぶん変化しました。

中橋(KEN NAKAHASHIギャラリーオーナー):少し話がずれてしまうかもしれませんが、内藤正敏という東北の民間信仰を独特の手法で撮影する写真家がいます。作品はモノクロで、ちょっと怖い雰囲気がありますが、明るいタイトルがつけられています。彼は死を通じ生を見ると書いていて、今松下さんの言葉を聞いて、暗い色が暖かく感じるというのは、そのような感覚に近いのかなと思いました。
夜は、闇に包まれることで安心できますが、煌々とした光の中では、隠れる場所もない恐怖がある。

死後の世界、生まれ変わりの門
2020 / キャンバス、油彩 / 100 x 80 cm

--今のお話を伺って、関連しているわけではないですが、CAFAA賞2016で最優秀賞を獲得された際、松下さんのコメントの中の「小さいマリコちゃん」を思い出しました。(http://gendai-art.org/cafaa2/award/index.html)

松下:小さい自分は、いつも私の左側にいます。最初に話した『変われば変わるほど変わらない』の、変わらない部分が小さい自分のことです。彼女は、ボロ切れのようになりつつも私の核エネルギーです。彼女を幸福にするためだけに私は生きているし、私は盾であり、工場をやっているんです。彼女が炉心で、私は絵画を生み出す原子力発電所です。みんなは小さい自分なしでどうやって生きているのか不思議です。
私にも聞き取ることができませんが、彼女が喋っているのは夜の言葉です。私は深い意識の底へもぐって、彼女と遊び、何が本当に必要なのか探しています。

Venus
2020 / キャンバス、油彩 / 142 x 114.5 cm

--今回の展示は松下さんのキャリアにとってどのような位置付けになりますか。

松下:私は、物事を計画立て、偶然性を排して、自分や他者の人生をコントロールできると考えることは危険だと思っています。
私は、「画家になりたい」と思ったことがありません。自分が生き延び、思考していくために色々な方法を試したのですが、どうやら油絵とは相性がよいみたいです。絵がやって来てくれるときがあって、そのまま私のキャンバスに棲みついてくれる。話が通じるし、小さい自分と相談して、仲間にしてもいいか、いい場合はそれで完成です。

『小さい自分』というのは私なりの言い方ですが、もう一人の自分とか、影とか、子供時代とか、それを変えないために外側の自分が変化して守っている部分が、皆さんにもあるかもしれません。
怖いのは、時々人は自分を保護するあまり、分厚い金属で何重にも覆われ、麻痺した、戦闘機になってしまうということです。
井上さんには「小さい井上さん」はいないですか?

--小さい井上ですか (笑)……「小さい自分」として意識したことはありませんが、お話を伺って、いるのであろう、という気はしました。『心』というと大きい言葉になってしまいますが、どんな物事・出来事も自分の中で反芻する瞬間があって、その反芻する記憶への問いかけや、良し悪しの判断みたいなボールを投げた先にいるのは、「小さい自分」だと思います。
あらためての質問になりますが、松下さんと中橋さんの出会いはどういったものだったんでしょうか?

中橋:私はこの仕事を始める前に体調を崩してしまい、病気の治療のため、長年勤めた会社を退職して、死ぬか生きるかというところまでいってしまったことがありました。それからしばらく経って、2013年頃からギャラリーで働きはじめました。
ある日、偶然働いていたギャラリーにやってきた初老の男性が、松下さんの個展のDMを見せながら、「これ、すごかったよ」と言って教えてくれました。それですぐに松下さんの個展を見に行ったんです。

松下:私はその時会場にいなかったんですが、のちほど私も中橋さんのギャラリーに展示を見に行きました。

中橋:そうでしたね。初めてお会いした時は衝撃で、松下さんがギャラリーに来られて、絵のお話を伺っている時に「触覚」についてお話しされていたんですよ。私はその触覚という言葉にピンと来なくて、どういう意味でしょうかと聞いたら、「こういうことです」と、突然手を握ってこられたんです。

--その出会いから今があるんですね。

中橋:それから一年ほど経ち、このKEN NAKAHASHI(旧名:matchbaco)のビルの空室を見つけ徐々に軌道に乗ってきた一年後くらいに初めて松下さんの「MARIKO」(https://kennakahashi.net/ja/exhibitions/mariko)という個展を開催しました。7年前の出来事ですが、あっという間でした。

--松下さんの今後のご活躍がとても楽しみです。松下さんは12月に東京・GINZA SIXにて個展を予定されており、来春にはCAFAA賞2020の展示にあわせ、当財団主催の展示も予定しています。本日はお忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございました。

現在開催中のKEN NAKAHASHIでの個展の展示風景(10月14日に展示替え済み)


開催概要

タイトル:居住不可能として追放された土地
会期:2020年9月16日(水)〜11月1日(日)
時間:水・木・金 11:00〜19:00、土・日 11:00〜17:00 *月、火休廊
会場:KEN NAKAHASHI (東京都新宿区新宿3-1-32新宿ビル2号館5階)
HP:https://kennakahashi.net/ja/exhibitions/anokumene
事前予約制:https://airrsv.net/kennakahashi/calendar
*会期中展示替え(後半:10月14日〜)

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松下 まり子 | Mariko MATSUSHITA

1980 大阪府生まれ
2004 京都市立芸術大学油画専攻 卒業

主な個展
2020 「居住不可能として追放された土地」KEN NAKAHASHI(東京)
2019 「Oasis」KEN NAKAHASHI(東京)
2018 「Silent Resistance to Oblivion」KEN NAKAHASHI(東京)、「RAW」KEN NAKAHASHI(東京)
2016 「イド」matchbaco(現:KEN NAKAHASHI・東京)
2015 「MARIKO」matchbaco(東京)

主なグループ展
2020 「one's behavior」KEN NAKAHASHI(東京)
2019 「Soft Mirrors」KEN NAKAHASHI(東京)
2017 「Star Tale」KEN NAKAHASHI(東京)
2016 「アート台北2016」(Y++ Wada Nakahashiブースより出展・台湾)、「LOIVE」matchbaco(東京)

主な賞歴
2016 「CAFAA賞2016」最優秀賞

レジデンシー・プログラム
2017年7月〜9月:英(ロンドン)・デルフィナ財団

書籍
2018 「抱擁に至るまで」作家版
2015 「MARIKO」matchbaco発行

コラボレーション
2017 pays des fees、あちゃちゅむ

Contemporary Art Foundation