INTERVIEW

Artists #10 大岩雄典

11月21日(土)から12月20日(日)まで、トーキョーアーツアンドスペース本郷にて、大岩雄典さんの個展が開催されています。大岩さんはCAF賞2017(https://gendai-art.org/caf_single/caf2017/)で海外渡航被授与者に採択されました。現在は東京藝術大学大学院映像研究科博士後期課程に在籍しながら主に国内で作品や批評文の発表、大学で講義など幅広くご活躍されています。大岩さんに本展のお話を中心に、さまざまなお話を伺いました。


--今回の個展はどのように開催が決定しましたか。

大岩:トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が主催する企画公募プログラム「OPEN SITE 5」に応募して採択されたという流れです。3月に公募があり、ちょうどその時期、世の中はCOVID-19の蔓延で混乱が増してきている最中でした。外出自粛が始まり、小池都知事が会見で「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を使い始めたころです。
誰もが2mほどの間隔を互いに空ける……と聞いた時に、まるでインスタレーションのようだ、と思いました。公共の場にある椅子やテーブルにバツ印がつけられたり、透明な壁で仕切られて行動を操作される。ロバート・アーウィン(Robert Irwin)という作家が、半透明の布を空間に垂らしたインスタレーションを作っています。それは空間の光を捉えるものだったけれど、いまの透明なフィルムはウイルスを捉えるものですよね。でもウイルスは見えなくて、他人の姿だけがそれ越しに見える。ダン・グレアム(Dan Graham)の、他人がハーフミラーの壁越しに見えるインスタレーションや、マイケル・アッシャー(Michael Asher)の、美術館の換気を操作した作品も思い出します。
自分もインスタレーションを作るとき、導線や壁による隔絶から、その作品のもつコンセプトを考えます。<ソーシャル・ディスタンス>もそうしたコンセプトですよね。この状況下で、インスタレーション制作・研究からの関心で、作品にとりかかりました。

--大岩さんはこの10月に、この個展とは別でタリオンギャラリーでもグループ展(*1)に参加されていました。そこでの出展作品は<歌詞>で、この個展では<漫才>の映像作品をメインにインスタレーション作品を構成されていますね。

大岩:9月頭くらいにタリオンギャラリーから電話があって、グループ展に参加しませんか、とお誘いを受けました。その際に「歌詞を展示してくれ」とギャラリーから言われ——たしかそのころ、ツイッターでそんなことを口走っていたんですよね——、歌詞の作品を作りました。
詩ではなくて歌詞であるところがポイントなんです。つまり歌とセットのはず。でも僕が出したのは歌詞だけ。節回しを想像しても、正解はない。だから、その歌詞を読む人それぞれに、違った形の歌が頭のなかに現れる。
この展示はもともと温田山さんとNAZEさんの2人展として開催予定だったのが、「壁」のモチーフを作っていく中で、僕を呼んでみようということになったようです。展示が出来上がっていくうちに、歌詞の作品だけでなく、心霊番組を撮って会期中にyoutubeで公開もされました。温田山さんの映像作品に、ぼうっと映っている幽霊のようなものが映り込んでいて、イラストレーターの山本悠さんにもご出演いただいて、一緒に映像(*2)を作りました。奇妙な展示ですよね(笑)…歌詞で心霊で。
それがあっての今回の個展「バカンス」は、漫才のインスタレーションです。まるでテレビマンみたいなラインナップですね。

--<漫才>にフォーカスを当てたのは何故なのでしょうか。

大岩:これは、2019年に駒込倉庫で開催した個展「スローアクター」(*3)から繋がっています。駒込倉庫の2階建ての空間を活かした構成でした。2階の展示空間にあるものが、真下の1階に落ちた、みたいな作りになっていました。はじめ1階に入ると、その散らばった瓦礫しかわからない。でも2階を上がれば、1階の瓦礫の経緯がわかって、整然と見えはじめる。話がまとまる。あれはどんな展示だったというと、一言でいえば<落ちをつける>展示でした。謎があって、進むと導きがあって、振り返ると腑に落ちる。

大岩雄典個展「スローアクター」展示風景 写真:野口羊

それを経て、次は異なる形を考えようと思い、今年の頭に北千住BUoYで開催した「別れ話」(*4)では、<いかに落ちがつかないか>を試しました。ホテルの部屋をインスタレーションで模して、そこで起こったことの物語がある。でも、その話はその部屋にいた二人が自分たちで書いたもので、それぞれ微妙に食い違った別のことを書いている。そのうえ、インスタレーションもまたその両方と食い違う。さながら芥川龍之介の『藪の中』ですね。話がたくさん「分かれ」ていって、答えが結局何かが「わから」ない。
そのとき参考にしたものの一つが、あいちトリエンナーレ2019に出展されていた、シンガポール出身の作家ホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen)の映像インスタレーションです(*5)。最近、「映像型レクチャーパフォーマンス」といえるような作品が増えていると思います。社会や政治、歴史の出来事について、リサーチに基づいてナレーションされる。それに映像が合わさっている……というタイプの作品です。
ツーニェンの作品もそのバリエーションですが、すこしひねりがあります。ホー・ツーニェン本人や無名の語り手が話しているのではなく、ツーニェンに委託された国内のリサーチャー3人と、ツーニェンとの手紙でのやりとりが読み上げられます。1人の声が専制的にストーリーを作り上げるのではなく、3通それぞれの郵便が話をつないでいく。バラバラなはずが、全てがあたかも繋がっているように見えてきます。一見上手くまとまってオチがついているようで、それも錯覚にすぎない。その映像のテーマが「無」だったのも、結局カットとモンタージュでつなげてイメージを作るとき、その足場は不安定な「無」でしかない、というアイロニーだったのかもしれません。
「バカンス」も「vacancy(虚無)」と語源を共通していますね。

漫才における<ボケ>はおかしいものですよね。レクチャーパフォーマンスはボケない。だけど漫才では、自分が話そうとして話し始めたはずなのに、突然ボケて、ツッコミされて、話が中断する。また始まって、またボケに邪魔される。相方がそのボケに乗って、また今度は違う話になって……と話を食い合っていく。「ひとり語り」が頓挫するんですよね、漫才って。外から奇妙な声が挟まってしまう。
そこでは、レクチャーやステートメントより、遥かに<語り手が複雑>です。自分で自分の話をくじく語り手。最終的なテイクのうち、僕が台本に書いた部分は半分くらいしかなくて、それ以上に、俳優の二人のアドリブになっています。アドリブというのも、元の台本に挟まってくる奇妙な即興ですよね。稽古の時点で、毎回違うアドリブが出てきて、話が散らかっていく。今回の制作はそれがとても面白いプロセスでした。
美術で<どのような語りをするか>、そうした問題のオルタナティブとして漫才を選んだので、一人の作家が全てをコントロールした展示にならずに良かったと思います。僕の展示はいつもサディスティックと言われ、以前は「全てが作家の手の中」と形容されたり……今回は、展示内イベントのモデレートを僕が行なうのではなく外に依頼したり、なるべく僕自身が希薄になるような選択をとっています。

大岩雄典個展「Vacances」映像作品より
出演:キヨスヨネスク、矢野昌幸
撮影:屋上
編集:大岩雄典

「語り」のうちに何か「雑音が聞こえる」というモチーフは、冒頭に話した、COVID-19以降に特に考えていたことでもあります。今年の4月に電話で聴く展示「Emergency Call」(*6)を企画しました。緊急事態宣言が敷かれ、多くの人が家にずっといた時期でした。誰とも会うことなく、僕の場合はオンラインのやりとりも少なかったので、耳に入る人の声というのは、たとえば報道の声ばかりでした。安倍元首相や小池都知事の会見で、「ロックダウン」とか「ソーシャル・ディスタンス」とか……そうした語りが、生活空間で響いていく。空間が強迫的に平板化していく。やはりそこには雑音が要るはずです。人は外へ散歩したり、誰かに電話をしたり、部屋に観葉植物を置く。自分に関係のない<ノイジー>なものを排除しきった状態を避けるというコンセプトが、「電話で聴く展示」にはあったと思います。ただそれが単純に「良いノイズ」というわけではありません。電話は拘束力があって、一方的に声が流れてくる電話口という空間に閉じ込められることでもある。声を聴くこと、挟まるノイズもまた聴くべき語りとしてしまう、強迫的な恐ろしさ。
今回の個展「バカンス」もそこから発展して、閉じ込められたクルーズ船の中で奇妙な声が聞こえる……というパラノイアックな漫才のアイデアになりました。

電話展示「Emergency Call」ウェブページより

--個展のタイトルを「バカンス」とした理由は何でしょうか。

大岩:いつも初めにタイトルを決めることが多いんです。今回「バカンス」が浮かんだのは、自粛期間中部屋で過ごしていた、あっけらかんとした天気の良かった時期でした。時間が止まったようで、身動きのとりづらい感じが、まるで<バカンス>みたいだと。さっきも言ったとおり、「バカンス(vacances)」はもともと「(仕事が)無い」といった意味ですね。「真空(vacuum)」や「空虚(vacancy)」と同じ語源です。インスタレーション史には、二つの「空虚」が存在します。ひとつはホワイトキューブ。ニュートラルで何もない空間に、作品がふと出現する。漫才でも、何の必要もないところに〈ボケ〉が現れる。今回のアドリブでも、俳優の言葉や動作から、何もなかった空間に急に宇宙が広がったり、監獄に閉じ込められたりする。もうひとつは、美術史家のマイケル・フリードがミニマル・アートを批判して言った「空虚」です。作品のほうは空っぽで、鑑賞者のほうが自分でその意味を充填していく。でもそうした相互作用は、「スローアクター」の瓦礫や、「別れ話」の物語の隙間について、読みつづけることを促すものです。
虚無や隙間、空間に、どうして意味が充填されるのか。誰が充填するのか。それを特権的な声にコントロールされた「ひとり語り」ではなくて、ノイジーな幻聴で即興的に埋めていく、そのぎこちなさを実装するために漫才にしたと言えると思います。そうしたことは昨年末・今年前半に刊行された『早稲田文学』に寄稿した漫才論からも繋がっていると思います。特にお笑いコンビの千鳥を論じた「怯えとツッコミ」(*7)が、「語り」の問題に結びつくんじゃないかと。

--本展会場の中心にスピーカーを置いているのは、<盗言器>の存在をより強く感じさせるためでしょうか。

大岩:今回の作品はサウンドインスタレーションとしての側面も強くあります。前回の「別れ話」で、サウンドデザイナーの増田義基さんに協力いただいたのが、ひとつの契機になったと思います。
ベッドの中心真上に吊ったスピーカーは、Bluetoothで音声を接続しています。どこから音が聞こえているのか・どこから受信しているのかわからない。ランプシェードがかぶせられていて、視覚的に消灯した照明に見えるだけでなく、スピーカーの音が真下に落ちるようにもしています。ベッドに座るとクリアに聴こえる。

大岩雄典個展「バカンス」展示風景 撮影:高橋建治 画像提供:TOKAS

この展示の間取りは、4月のロックダウン中に横浜港に停留していたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の客室の1タイプを参照しています。つまり、あの空間にずっと幽閉されていた方がいたかもしれない。ただ、ベッドだけはキングサイズに変えています。実際、よくよく部屋と比べれば大きすぎることは明らかだと思います。キングサイズのベッドの両端に座ると、ちょうど2m程度の距離になる。ソーシャル・ディスタンスくらいの距離ですね。展示を鑑賞すると、他の鑑賞者がいることがありますよね。座る場所があると、遠慮してすこし距離を空けて座ったり、すれ違うとき気を遣ったりする。この展示で、漫才の声をよく聴こうとすると、だんだんとスピーカーの真下、ベッドの中心に寄っていく。2mの距離を割っていくわけですね。一番「プライベート」な場所であるベッドが、鑑賞の作法を通じて、そういうデリケートな緊張の場所として現れる。

--枕元に置いてあるヘッドフォンから流れる音楽は展示空間においてどんな役割があるんでしょうか。

大岩雄典個展「バカンス」展示風景 撮影:高橋建治 画像提供:TOKAS

大岩:今回のインスタレーションには、いくつか「ノイズ」を体現するモチーフがあります。漫才に出てくる「トウゲンキ」や、クルーズ船の外にひろがる海もそうですね。「noise」という言葉の語源は潮騒や船酔いと関係しています。
そのいっぽうで、全面化したノイズ、「図と地」がなくなってしまう、音に閉じ込められる空間を対比させようと思いました。「別れ話」に引き続き、増田義基さんに作曲を依頼して、<引きこもる音楽>というテーマでやりとりしました。モチーフとして、たとえばLo-Fi Hip Hopの、ずっと音楽を聴いている少女のアニメーションとか、ASMR、メディテーション音楽……などを共有して、「ノイズレス」な音楽を作っていただけたと思います。だからヘッドフォンも、BOSEのノイズキャンセリング機能のあるものを選んでいます。Victor社のも候補にありました。犬が蓄音機を聴いているシンボルマークの会社ですね。
枕元でヘッドフォンをつけると、スピーカーの漫才がかき消されるくらいに音量を設定しています。ヘッドフォンは1台しか設置していないので、同じベッドに座って漫才を聴いている人とは、そのとき全く経験が共有されていない。

--それが壁に書かれていたテキスト(「わたしたちはベッドにわかれてすわり そしてそれぞれ聴く」)の意味に繋がっていくんですね。

大岩雄典個展「バカンス」展示風景 撮影:高橋建治 画像提供:TOKAS

大岩:冒頭で話したとおり、人と人が距離を取る、ということをインスタレーションの問題として今回は考えています。<同じ空間にいても、わたしとあなたで、全く違うものが聴こえている>——これは「歌詞」の話にも繋がりますね。2人が並んだ漫才、2人が寝られるベッド、枕やランプ、入口のヘッドフォンも2つずつある。「2人」をモチーフに作品を作りつづけた作家にフェリックス・ゴンザレス=トレス(Félix González-Torres)がいます。彼の《Perfect Lovers》をもじって《Perfect Strangers》(*8)という作品を作ったことがあります。ゴンザレス=トレスには、2人の来場者が1つのウォークマンを共有してダンスするためのホールを制作した作品もありますね。その意味で、「相手との距離」——ゴンザレス=トレスでいえばAIDSの感染リスク、今の状況でいえばCOVID-19の飛沫感染のリスク——もまた、インスタレーションのひとつのテーマになると思っています。

--余すことなく作り込まれていますね。

大岩:具さに作り込むことが好きで(笑)。展示の空間デザインも、3DCGから興して、照明や死角をシミュレーションして考えます。座る場所や、鏡の角度を調整して、客室のように見える視角と、はりぼてが露出する視角が、動線にしたがって入れ替わり立ち替わりするような。

--当財団で展覧会を開催する際、絵画作品の方・彫刻作品の方・メディアアートの方と指示書をそれぞれにいただくと、全く異なった書き込みをしていてとても興味深いです。メディアアートやインスタレーション作品を作る作家さんは、大岩さんのように空間ごとCGに興して指示書を出す方がいらっしゃいますね。

大岩:僕は、インスタレーションは<死角>を作る芸術だと捉えています。<壁>と言ってもいいかもしれません。壁があると、その裏は死角になるので、回りこむ必要が出てくる。回りこむとカーテンが現れて、その隙間に光が見えて、ベッドを回り込んでいくとヘッドフォンがあって、小さく音楽が流れている。そのあいだに漫才とすれ違う……というような。「スローアクター」を制作していた頃に読んだ、ゲーム『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の開発者インタビュー(*9)が記憶に残っています。「塔が見えると人間はそこに行きたくなる。塔の前に山があるとまわり込まざるを得なくなって、そのうち横から建物が見えてくるとその建物が気になってそこに入ってしまう、そんな人間心理を利用してゲーム上のマップを作っている」……といった内容で、そうした判断を僕もインスタレーションの制作でしています。
たとえばカーテンは、ただ開けてあるだけでなくて、ある地点までその奥にある作品が見えないように、隙間を調整しています。逆方向に進むと、手前と奥の二つのモニターが同時に見える位置が見つかる。こうした地点が、鑑賞のなかで探索されると思います。この二つのモニターで流れている漫才は同じものですが、カメラアングルの編集が異なっています。手前は、テレビ番組で観るようなオーソドックスなカメラワーク。奥は、ボケをしている方の顔……ではなく、相手のボケを「聞いている」方の顔をクローズアップで写しています。

大岩雄典個展「バカンス」の大岩雄典によるCGパース

--仕掛けがたくさんあって脱出ゲームを彷彿とさせます。

大岩:ゲームって、難しすぎてはダメなんです。全くヒントのない箇所をクリックしたら鍵が出てくる、のではゲームにならない(笑)。でも、目の前に鍵があっても簡単すぎてゲームにならない。その意味で、多かれ少なかれ、プレイヤー・観客というのはお膳立てされたものなんです。でもそれを「お膳立て」として荒立てるのはあまり好まれない。そこにはお膳立てが存在するはずなのに。手品のような微妙なバランスの隠し方だと思います。

--大岩さんはその仕掛け・仕組みをどこまで鑑賞者に解いてほしいでしょうか。

大岩:たとえば、僕の作品をよく見てくれている人なら、建具の裏側が見えた時点で「何かあるな」と気が付く。ディスプレイを並行に置くのも、2017年の展示「理想の収納」のインスタレーションの発展です。……こう言うと自家薬籠中、文脈依存という感じに聞こえますが、でも実際、ひとりの作家にとっての客にはいろいろなバリエーションがあって、僕のデザインは予測されていたり、新鮮に受け取られたりするだろうという、ある程度想像のついた振り幅がある。
初日のトークに際して、本公募の審査を務めた畠中実さんがご来場されたのですが、畠中さんは音楽を使う方なので、ベッドの音の仕掛けにすぐに気が付いていらっしゃいました(*10)。ディスプレイの並行に気づいたキュレーターの方もいました。こういうのは、ざっくばらんに言ってしまえば、割合と確率ですよ。全員が気づくこともなければ、全員が気づかないこともない。二つを関連させれば、一方に気づけば連鎖して他方に気づく。ゲームもそういう感じにプレイしますよね。それで、取りこぼしやボーナスを経て、だいたいは同じゴールに辿り着く。そうしたゆらぎのある形を、インスタレーションに実装する感覚です。
池袋にある「コ本や」で毎月ゲストトークイベント(*11)をモデレートしています。ここ3ヶ月で、「アニメーション」「ホラー」「手品」というテーマで、芸術の関係を考えてトークしました。それで、次回(12/12)は「クイズ」がテーマなんです。先日そのゲストと打ち合わせしたときに話に挙がったことですが……たとえば「誰も知らない難しい問題」はクイズになりません。知らないことは当てられないし、面白くもない(笑)逆に誰でもすぐわかる問題も面白くない。でもクイズの問題文は、わかる人はその人のタイミングでわかるようにデザインされています。競技のクイズと、インスタレーションでは相違もありますが、問いかけに段階がある、というのは共通しているのではないかと。
 たとえば、「なぜや…」と問題が読まれたら、もうそれは「登山家ジョージ・マロリー」が答えだと。「なぜや」以降に繋がる言葉は「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ。」という言葉しかない。だからその発言主であるジョージ・マロリーが導かれるべき——ここまでの話に合わせると、それが先んじて「聞こえる」というか。かるたの決まり字のようですよね。最後まで聞いてからマロリーをやっと思い出せる人もいれば、「なぜ山に…」あたりでひらめく人もいる。「なぜや」で押せるのが論理的で最速。ゲームで言えばRTAのような。

大岩雄典個展「バカンス」展示風景 撮影:高橋建治 画像提供:TOKAS

--鑑賞者に仕掛けに全く気付いてもらえなくても問題はないですか。

大岩:数撃ちゃ当たるで、保険をかけつつ、6割くらいを想定できればいい、くらいのスタンスです。もちろん全員が予想通りのわけはないし、そうしたらつまらない。でも全員奔放に自由に、ではただの無秩序。モデルを想定しておいて、そこから個々の鑑賞者はずれていくし、ずれながら、そこに「想定ルート」があることにも当然気づく。だからそのルート通りに動く人も当然ある程度いる。すべてが作家の「手のひらの上」ではいささか居心地が悪いですが、実際そんなことはないし、鑑賞者のコンディションも無数にある。鑑賞はとても複雑な行為だから、遠慮なく綿密にデザインしています。
だからこのインタビューも、ひとつの「想定」というか、ひとつの退屈なルートでしかなくて、そこに個々人の鑑賞が必然的にノイズをまとって発生するものだと思います。
 
--大岩さんはそもそもなぜ美術家の道を進まれたのでしょうか。

大岩:最初のきっかけは、今回個展をやらせていただいているTOKASの前身であるトーキョーワンダーサイト(TWS)の公募に通ったことでした。入選者からさらに個展選抜公募があり、これにも通った。それで学部3年生の冬にTWS渋谷で開いた個展が実質的なキャリアの初めに位置すると思います。
個展会場になった部屋が変わった作りをしていて、広い部屋の奥に、細い通路で、小さめの部屋が繋がっていたんです。手前と奥の2部屋を往復するのが、鑑賞の条件になる部屋でした。この反復の構造に応えることから、今に至るようなインスタレーションが構築されてきたと思います。

--大岩さんの作品内や展示タイトルで、親密な人との関係を彷彿とさせるような言い回し・言葉をよく拝見するように思います、何か意図があったりするのでしょうか。

大岩:例えば「理想の収納」で展示した《その気でいさせて》や、さっき英語題で《Perfect Strangers》と紹介した《いつまでも見知らぬ2人》あたりでしょうか。前者は平松愛理の「部屋とYシャツと私」、後者は小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」の歌詞の引用ですね。耳に残るいい歌詞だなというのもあるんですが…(笑)どちらも、一言に複雑な関係が込められていますよね。平松の歌詞は、つまるところうまく騙してくれというねじれた願いであって、小田の歌詞「僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」も、実は見知った2人のあいだで通じるフレーズ。「別れ話」は引用ではないですが、遠くないモチーフですね。
インスタレーションの作る「距離」を、そうした自他関係の寓話の形で考えたり、作品に入れ込んだりするからだと思います。ブリュノ・クレマンという文学研究者が、思考は複数人の対話の形をもつ、ということを論じているんですが、僕の作品デザインも、複数の主体が突き合わされたような造りをしていると思います。

--今後はどのように制作を展開されていきますか。

大岩:<語りの有機的なまとまりの如何>がここ一年の主題だったので、そこからまた離れて次のことを、考えられれば。世情とかに反応するかもしれないし、もうすこし哲学的な関心で進めるかもしれません。あとは、歌詞の作品や電話展示のように、比較的小規模でありながら、空間やインスタレーションについて考えられるものとか。
今年度は制作と並行して、インスタレーション論の海外の論文を訳したり、この年末にはそれに関連したレクチャーもあります。作品制作と研究・批評を往復して、考えが進んでいくかなと。
CAF賞2017でいただいた海外渡航費を使用してポルトガルに建築を見に行こうかと思っていましたが、渡航延期をしています。落ち着いたら、COVID-19収束直後の芸術祭なども見てきて、渡航後に報告会などできたらと思っています。

(*1)— 温田山、NAZE、大岩雄典 「一番良い考えが浮かぶとき」http://www.taliongallery.com/jp/past/exhibition066/index.html?fbclid=IwAR0K27nwp7svnvYVXbIxxDOXwLRR8OmadKGcvEmnNNZhvt4Qiag8_yCXq5I
(*2)—山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】https://youtu.be/oCHqUd_oHBc
(*3)—大岩雄典個展「スローアクター」https://www.euskeoiwa.com/works/2019/slowactor.html
(*4)—大岩雄典個展「別れ話」https://www.euskeoiwa.com/works/2020/breaking.html
(*5)—大岩雄典「《旅館アポリア》についての報告:ホー・ツーニェン《旅館アポリア》評」https://bijutsutecho.com/magazine/review/20728
(*6)—電話展示「Emergency Call」https://euskeoiwa.com/2020emergencycall/
(*7)—「怯えとツッコミ」『早稲田文学 2020年夏号』(早稲田文学編集室編・筑摩書房刊)
(*8)—大岩雄典「Perfect Stranger」https://euskeoiwa.com/works/2018/strangers.html
(*9)—[CEDEC 2017]「ゼルダの伝説BotW」の完璧なゲーム世界は、任天堂の開発スタイルが変わったからこそ生まれた - 4gamers」https://www.4gamer.net/games/341/G034168/20170901120/
(*10)—オンライン配信されたオープニングトークは全編YouTubeにて公開中。Youtube - OPEN SITE 5 [Part 1] オープニング・トーク https://www.youtube.com/watch?v=YrJ0x5KXUoM
(*11)—コ本や「フィクション研究会〈雪火頌(せっかしょう)〉」   https://honkbooks.com/sekkasho/


開催概要

タイトル:OPEN SITE5 大岩雄典 — バカンス
会期:2020年11月21日(土)〜 12月20日(日)11:00〜19:00 *月曜休館
会場:トーキョーアーツアンドスペース本郷(東京都文京区本郷2-4-6)
https://www.tokyoartsandspace.jp/archive/exhibition/2020/20201121-7020.html

関連イベント◆大岩雄典と布施琳太郎:インスタレーションや執筆や二人が前提としていることについて

司会に福尾匠を迎え、それぞれの角度から現代美術を超克しようとする大岩雄典と布施琳太郎が、それぞれの執筆、企画、制作、展示について語り合うトークイベント。

日時:12月13日(日)17:00〜19:00
企画トゥルク:きりとりめでる
司会:福尾匠
登壇:布施琳太郎、大岩雄典
入場料:無料
オンライン配信:あり(予定)
配信協力:屋上 http://okujoh.space

イラスト:山本悠

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大岩雄典 | Euske OIWA

1993 埼玉県生まれ
2017 東京藝術大学美術学部デザイン科学士(美術)
2019 東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修士(美術)
2019 東京藝術大学映像研究科博士後期課程(映像メディア学)在籍

個展
2020 「別れ話(イベント「形」(企画:岸井大輔)内展示)」BUoY(東京)
2019 「スローアクター(企画構成:砂山太一)」駒込倉庫(東京)、「トレイラー(第67回東京芸術大学卒業・修了作品展覧会)」東京藝術大学(東京)
2017 
2015 「わたしはこれらを展示できてうれしいし、あなたはこれらを見てうれしく、これらは展示されてうれしい(TWS-Emerging 2015)」TOKAS(東京)


グループ展
2020 「Emergency Call(企画・出展)」電話展示、「遭難|Getting Lost(+奥泉理佐子)(企画・出展)」ウェブページ 、「一番良い考えが浮かぶとき(+温田山、NAZE)」TALION GALLERY(東京)、「バカンス(OPEN SITE 5)」TOKAS本郷(東京)
2019 「彫刻書記展(キュレーション:鈴木操)」四谷未確認スタジオ(東京)
2018 「明るい水槽(+永田康祐)」Block House(東京)
2017 「CAF賞2017」代官山ヒルサイドフォーラム(東京)、「11/11(第65回東京芸術大学卒業・修了作品展覧会)」東京藝術大学(東京)
2016 「囚人は通夜にいきたい(+吉野俊太郎)」ココノカ(東京)」、「パフォーマンス企画|空間と記述(グループ展「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(キュレーション:飯岡陸)内企画)」KAYOKOYUKI・駒込倉庫(東京)、「Surfin'(+永田康祐、山形一生、山本悠)」(都内某所)、「太陽光と…(キュレーション:飯岡陸)」眺望ギャラリー テラス計画(北海道)、「理想の収納(+吉野俊太郎)」東京藝術大学(東京)


賞歴
2019 「第16回『美術手帖』芸術評論募集 」佳作入選 (「別の筆触としてのソフトウェア:絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論」)
2017 「CAF賞2017海外渡航費授与者」採択
2016 「東京藝術大学平山郁夫奨学金」
2014 「トーキョーワンダーウォール2014」入選、「シェル美術賞2014」入選

Contemporary Art Foundation