INTERVIEW

CAF Note #3 日原聖子

東京都新宿区、四谷三丁目にある「TS4312」。コレクターの沢登丈夫さんが運営する、東京らしい雑居ビルの最上階に居を構えるこのギャラリーで個展を開催中なのは、CAF賞2017入選作家の日原聖子さんです(2019年3月8日~31日)。日原さんは高校卒業後、プラハ美術アカデミーに進学して7年間学び、昨年に帰国したばかり。4月に東京藝術大学先端芸術表現科の博士課程への進学を控えるなかでの、今回がご自身の国内初個展となります。

壁一面を埋め尽くすパステルのドローイング作品《そこを臨む ii 》(2019)

《Meeting Under the roof.》(2015〜)

例えば出会った人に好きな色の刺繍糸を選んでもらい、その糸で15cmずつ縫ってもらう間の時間を共有し会話をする《Meeting Under the roof.》や、自身の体温を日時とともに刺繍して遠方に暮らす母に送り、同封した針と赤い糸で母にも体温を縫って返送してもらう《A Letter》など、日原さんはこれまで一貫して、人とのつながりの中で制作しています。

「”私”のレベルを下げていきたい」「誰にでもできる方法でつくりたい」「演出で人を騙したくない」という言葉からは、日原さんの表現のかたちが伺えるでしょう。日原さんの作品においては、特定の誰かやその人を取り巻く感情、またその人と日原さんの間に取り結ばれる関係性/プロセスのなかに生まれるものを、いかに純度の高いままに取り出すかが問われてきたのです。

「アートが何なのかとか、アートが好きかどうかとか、よくわからないんです。私にとっては、例えばあの子の名前が美しい、こんなに生まれてきたことへの祝福を感じさせる名前はない、ということのほうが大事です。でもそういった物事にアートという視点から関わることで、世界がちょっと良くなることもあるのかなと思っています。」

左《Touching》(2017)/右《Fixing》(2017)

時には参加者をも巻き込んで展開され、公の場で制作過程を見せることも多い日原さんの作品は、1970年代前後の監視体制下でパフォーマンスアートが発展したチェコにおいては自然に受け入れられ、もっとパフォーマンスをするように促されることさえあったそうです。しかし日原さんの中では、少しずつ違和感も大きくなっていました。

「私は誰かを巻き込んで制作するときには、その一対一の対面を大切にしたいんです。でもオーディエンスを前にすると気が散ってしまいますし、人に見せることで、逆に参加者以外のオーディエンスにロープを張って弾いてしまうみたいに思えて。誰のために制作しているのかわからなくなってしまったんです。」

《Talk about yourself - myself. 000》(2017)

そうした違和感が決定づけられたのは、2017年のCAF賞の入選作品展だったと言います。日原さんは会場で過去作やその記録映像を展示したほか、会場を訪れる人々とのパフォーマンス型の作品を発表。そこでは、チェコで培ってきた制作スタイルの日本での手応えを得ることができた一方、審査員からは自身の迷いも指摘され、特定の誰かとの制作の行為を多数のオーディエンスに見せることの意味や、その矛盾、見せ方について考え直す機会になりました。

その反省を活かし、続くプラハ美術アカデミーでの修了作品展では一転、オーディエンスは制作の様子を仕切り布越しや階上から遠目に見られる程度になるよう空間を設定し、見せないことで見せる、友人のためだけに行うという、社会主義の時代のチェコのパフォーマンスアートを少しなぞったような形態を用いたといいます。そうして制作行為そのものの純化に立ち返るとともに、CAF賞入選展で課題と感じていた、人に見せるための仕組みとの両立を、作品を複層化させて構成することで乗り越えました。厚みを増した日原さんの作品は、その年チェコの大学を卒業する全学生を対象とする最高賞ヨゼフ・フラーフカ賞の受賞をもって評価されました。

そうして迎えた今回の個展。大学の修士課程を終え、帰国し、春に博士課程への進学を控えるこの時期での展覧会は、日原さんにとってはアカデミックな場から離れ、自己に向き合うターニングポイントと位置づけられます。

《そこを臨む i 》(2019)

《そこを臨む i 》(2019)に用いられた父のセーター

会場で一際目を引くのは、メインの展示室いっぱいに広げられた薄布に刺繍が施された作品《そこを臨む i 》(2019)です。「数年ぶりにほとんど一人で制作しました」という本作では、ギャラリーのオーナーの沢登さんが貸してくれたという同スペース周辺の地図が、日原さんの父のセーターをほどいた糸で刺繍されています。日原さんがここで表現しようするのは、気心が知れるようになってもまだ他人である沢登さんとの緊張状態や、この場所・土地に備わる記憶。そして同時に、アーティストの娘を持つという沢登さんの存在が、日原さんご自身の父の存在に重ね合わされ、「親子」の関係も模索されています。

近年は虚飾を避けてほとんど「色」を使わなかったという日原さんが、壁一面を埋め尽くすパステルのドローイング《そこを臨む ii 》(2019)や、十数点の小品のドローイング、はては19歳の頃に描いたキャンバスの抽象画までを展示していたり、数点の過去作を合わせて見せているのも本展の特徴です。いずれも日原さんらしい作風ではありますが、ここにはパフォーマンスも、制作を共にした「誰か」の影も潜められています。そして、これまで極力無くしてしまいたいと思っていたはずの「私」の存在が、代わりにうっすらと顔を出しているように感じられます。

「最近悲しいことがたくさんあって、それが伝わるような作品を作りたいという気持ちが芽生えてきたんです。悲しいことがあるっていう気持ちを、ここに来てくれる人や対面する人々と混ぜてみたい。あなたと私は違う人間じゃない。同じレベルにしたい。そういうことができるアーティストになりたいという想像が私の中にあって、作品を媒介にした共感の実践を試みたい。どうしたらあなたと私が共感できるのか、そういうことを追求してきたいです。」

会場に展示されたドローイング作品

《Grandma's hand》(2019)

日原聖子展「そこを臨む」
2019年3月8日-3月31日(金土日のみ開廊) 12:00-19:00 
@TS4312(東京都新宿区四谷三丁目12 サワノボリビル9階)
https://seikohihara.wordpress.com/

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