INTERVIEW

CAF Note #2 大岩雄典

CAF賞の入賞・入選作家の活躍をご紹介するシリーズ連載「CAF NOTE」。今回はCAF賞2017海外渡航費授与者の大岩雄典さんに、「駒込倉庫 Komagome SOKO」で開催中の個展「スローアクター」についてインタビューしました。大岩雄典(おおいわ・ゆうすけ)さんは1993年生まれ。映像やペインティング、テキストなど、様々なメディアを行き来するインスタレーションを多く手がける作家です。アートスペース「駒込倉庫」での個展は、ご自身の過去最大規模となっています。

「駒込倉庫」はSCAI THE BATHHOUSEが運営し、主に若手作家やキュレーターの活動を後押しするプロジェクトを行っている実験的アートスペースです。大岩さんが出品したCAF賞2017で審査員を務めた「SCAI」オーナー・白石正美さんに声をかけられ、今回の個展が実現したといいます。

ー階の展示室。薄暗い空間に音声作品がループして響く

一階の展示室より

二階建ての同スペースでは、奥に深い空間が二層に重なっています。企画構成に砂山太一さん、会場設計に奥泉理佐子さんを迎え、入念に練り上げられてきた本展では、この二階建て構造が十分に活かされています。薄暗い一階のスペースには瓦礫の山とループする音声作品が、さらに先へ歩を進めると、いくつかのオブジェクトが遺失物のように点々と置かれています。砂山さんとの企画構成で参照したという「脱出ゲーム」のごとく、画面のオブジェクトをクリックして近づくように、鑑賞者は次第に展示の奥へ奥へと導かれていきます。はっきりとした手がかりの得られないまま二階へと階段を昇ると、踊り場には鉄骨に張られたターポリンの上にディスプレイが平置きされた映像作品。続く奥の部屋は一転明るく、ペインティングやレディメイド作品、階段状の立体物などが、一見整然と展示されています。「展示の鑑賞にいくばくかの時間が伴うこと、一挙に観ることはできないこと」を制作の主題のひとつにしてきたという大岩さんが本展でつくり上げたのは、こうした様々なメディアの作品群や、二階建て構造そのものまでをも用いた、「見ること」をめぐる大掛かりな装置のようなものと言えるでしょう。

「見ることの分析の問題は、芸術領域に限らず、あらゆる〈見ること〉に関わると思います。一般的に見ることは〈行為〉と見なされますが、その能動的な行為のなかにも能動性のレベルが多様にある。これを見たいとか、これを見るためにうっかりこうしたとか、不安定なグラデーションのなかで、見ることの判断がさまざまに起きている。この領域を浮き彫りにすることは、美術という分野の、ものを展示して人に見せている形式がもっともコミットできるところでしょう。」

山本悠さん制作の本展ウェブサイトでも予告され、展覧会序盤の音声作品でも言及されるように、本展では、1960年代前後にフランスで活躍した作家「イヴ・クライン」が、最も印象的で重要なモチーフとなっています。二階建てという会場の構造から「落下」をモチーフに読み込んだという大岩さんは、同時にイヴ・クラインの代表作のひとつ《虚無への飛翔(空虚への跳躍/Leap into the Void)》を想起して、展覧会のテーマに編み込んでいきました。大岩さんは、柔道家でもあったクラインが《虚無への飛翔》発表の数年前に著した『柔道の基礎』に着目します。この本で詳解される「型(かた)」とは、受け/取りに分かれて投げ合う柔道の練習法であり、その心構えを説く序文を、大岩さんは取り上げます。

二階踊り場の映像作品《EVENTUALLY EVEN》。「落下」を軸に数々のモチーフが登場する

「拙訳ですが……『受けは決して、投げを美しく見せようと忖度して飛ばされるべきではないし、虚無への飛翔をすべきでもない。〔中略〕バランスを崩されないかぎり投げられないように努めるべきである』と序文に書いてあるんです。本来の力のやりとりではなく、そこで力が起こったかのように見せかけてしまうこと自体を〈虚無への飛翔〉と呼んでいる。そこから、イヴ・クラインの言う〈虚無〉とは、何かの痕跡を消したり、あるべき姿をずらしたりすることなのではないか、と考えました。」

大岩さんはイヴ・クラインを美術史的にただ参照するだけでなく、リサーチを通して、その思考、眼差しを「プラグインのように導入」しようと試みます。
「イヴ・クラインの考えていた時空間、時間的な虚無の発生をいかにインスタレーションの形式で再考し、実践化できるか。クラインを参照して、〈ものを展示する〉という独特な形式を、時空間の問題として緻密に取り上げるというのが、彼をモチーフとして採用した理由です。」

二階展示室。奥泉理佐子が会場設計で参加した

先に挙げたイヴ・クライン《虚無への飛翔》は、作家自身が二階から跳び上がる瞬間を撮った写真作品ですが、実はこの写真は合成写真でした。地上にクラインを受け止める人々が写っていたのをすげ替え、あたかも「空」へと作家が飛ぶように見せたものです。「二階建てという展示空間を用いて、言葉遊びですが、クラインのように〈落とし前〉をどう〈つけうるのか〉というのが今回のテーマです。鑑賞者が両階を昇降するなかでこの〈落下〉を反芻して、どう受け取っていくか、受け取ろうとするようになるかを、クラインをひとつの参照項、また鑑賞のアイテムとして活用しています。」

本展の冒頭、エントランスには、仰ぎ見れば備え付けの天窓に花瓶が設置されています。その直下の地面には割れた花瓶が広がり、「落下」を想起させる演出がなされており、これを経ると、一階の展示空間に広がる瓦礫の山もまた、二階の什器が落下した跡なのだと気付かされます。しかし大岩さんが強調するのは、それは実際には落下などしていないのに、イヴ・クラインの合成写真よろしく、鑑賞者は脳内で2つの像をモンタージュして「落下」を見ているという点です。
それに留まらず、会場内の随所に散りばめられた、デイヴィッド・ホックニーやマルセル・デュシャン、バス・ヤン・アデル、はてはシャーロック・ホームズやジェイムズ・ジョイスまで、いくつもの美術史・芸術史的なモチーフが、「落下」を軸に連なっていくことに気付かされます。

二階展示室より、《SURVIVED BALLS FROM NIAGARA FALLS》

「展覧会とは、ものを並べる仕事だと思っています。時空間に並んだものをどうしても鑑賞者が結びつけないといけない。結びつけるという、インスタレーションや展示に要求される意識が、その対象自体をどんどんずらして落下させていく。たぶらかされていく。ここで立って見ているものはどこまで意図されたもので、どこまでモンタージュされたものかについて、鑑賞者は再検討しなければならなくなる。そのとき、落下のあわいに、落下を可能にする落差が見えるんです。鑑賞とは、連鎖する踏み外しです。」

最後に、本展のタイトル「スローアクター」について聞いてみました。「スローアクター」という語は、毒や薬の性質である「即効性(immediate acting)」「遅効性(slow acting)」に由来しています。大岩さんは「immediate」は「media」に否定の接頭辞「in」が付いたものであることに注目します。つまり即効とは「中間物=media」がないものですが、しかし美術の実践とはむしろ何らかの媒介のうえに成り立たせるものです。そこでは常に理解のための時間を要し、「その時間のあいだに、理解・見方は当の対象によって更新される。」──それゆえに美術は「slow acting」なのだと言います。

二階展示室より絵画作品《OUTSIDE IS VIVID》。「脱出ゲーム」を参照しながら数々の「脱法」を試みた

こうした美術の「効きにくさ」、翻っていかにその媒介が「見ること」に介入してくるかは、本展の随所でこれでもかと突きつけられます。例えば本展示の縮図のように機能する大型のペインティング《OUTSIDE IS VIVID》には近づけなければ見えないほど小さな文字が書き込まれている一方、退いて絵全体を見渡すには十分なスペースが用意されておらず、背後の障害物を回り込んで見る羽目になります。目線よりはるか高くに掛けられたオブジェやペインティングもあります。会場設計の奥泉さんの協力の元、大岩さんは「見ること」にありうべきデザインを踏まえた上であえて「脱法」し、揺動し、あるいは鑑賞者を物理的にも思考上でも繰り返し昇降させ、落下させながら、その振れ幅を拡張しようと試みているのです。

「展示というのは一挙にフラットに見えるものではなく、そもそも当の展示自体を、鑑賞者自身がどう見ることができるものなのかを彫刻していくようなものだと思います。見ているなかで、その見方自体がどんどん変わっていく。展示を見終えてもその人の見方自体が彫刻されて、変えられてしまうんです。」



「即効性」が重用され、ときにSNS上の一枚の写真が展覧会にとって代わってしまいそうなこの時代にあって、「なぜ美術展示が、広い場所をとって、人を電車で呼びつけて何十分も展示を歩き回らせるのか。その価値や特異性を問うためにも、見ることの時空間を検討していきたい」という大岩さん。その「見ること」の探求はこれからも続きます。

■大岩雄典 個展「スローアクター」
2019年2月9日 - 3月2日 @駒込倉庫 Komagome SOKO(東京都豊島区駒込2-14-2)
http://euskeoiwa.com/2019slowactor/

展覧会の冒頭より、割れて床に散らばる花瓶

Contemporary Art Foundation