この度のインタビューでは、アーティスト・金沢寿美さんをご紹介します。
金沢さんはCAFAA賞2020-2021(https://gendai-art.org/cafaa3/)でグランプリを獲得し、2023年にはCAFAA賞のグランプリの副賞である英・ロンドンのデルフィナ財団のアーティスト・イン・レジデンスのプログラムに参加されました。11月10日まで、越後妻有アートトリエンナーレ2024に参加し、展覧会場の一つである枯木又プロジェクトで作品を展示されていました。今回は金沢さんのアトリエにお邪魔して、美術との出会いから制作の核となるお話、過去の作品や今回の越後妻有の展示まで、幅広くお話を伺いました。
金沢さんのアトリエ風景
--この度はインタビューを引き受けていただきありがとうございます。天井が高くて、とても素敵なアトリエですね。
金沢:この新しい家(アトリエ兼住居)になる前は、築70年以上の古い民家を10年ほど賃貸で借りていました。以前のお家も好きだったんですけど、もう建物が限界にきていて、雨漏りやネズミが出たりと大変でした。そんな中、大家さんが「あなた達が出たらこの家を取り壊して、売りに出そうと思っているの」と仰っていたので、家を譲って頂き建て替えました。
--作家になったきっかけや生い立ちなどをお聞かせください。
金沢:美術との最初の出会いは、小学校の友人が通っている絵画教室に「ちょっと一緒に行かへん?」って誘われてついて行ったのがきっかけでした。先生は桃井かおり(日本人の女優)のような雰囲気のある人で、教室でタバコを吸いながら作業をしている姿が新鮮でした。先生のスタンスも「とにかく自由にしていいよ。時間も、好きなだけいていいから」みたいな感じでしたね。教室はモチーフなのか何なのかよくわからないものが雑然と置いてあって、絵の資料になるような古い本もたくさんありました。私の好きな図鑑があったり、とにかく私にとってすごく自由な場所でした。子供たちがそれぞれ思い思いの物を作ったり、絵を描いたり、ボーとしたり。別に話すわけではなく、だけど同じ場所で静かな時間を共有してる。そんな絵画教室の空気にとても惹かれました。その時、何となくですが、この領域が私を受け止めてくれる場所なのかなと思いました。親に初めて自分から行かせてほしいって言ったのが絵画教室で、「じゃあ、図工の成績で5を取ったら行ってもいいよ」と母親に言われて、無事5を取って行かせてもらえることになりました。
--なぜ、美術が「私を受け止めてくれる場所」と思われたのでしょうか?
金沢:当時の私は自分が韓国人だということは理解できても、生まれた時から名字は日本名でしたし、民族学校へ通っていたわけでもなければ、両親のように在日朝鮮人のコミュニティーの中で育ったわけでもありません。当然、日本語が自分の第一言語ですし、むしろ韓国語は全く喋れませんでした。だから、周りの人にあえて言わないと私が外国人だってことがわからない、そういった状況に違和感や閉塞感のようなものを子供ながらに感じていました。だけど、家での生活には韓国の文化や慣習といったものが根付いていて、特に法事のような儀式的行事はとても大事にされてきました。こうした親戚が集まる場で、日本と韓国について、北と南について、済州島と本島について、といった大人達の会話をよく耳にしていました。内と外ではないですけど、2つの世界やその間にある世界のようなものが自分の中にはあるんだと気づきました。ある時、友達に「自分が日本人であることを考えたことある?」って聞いたことがあったんです。「何それ?」って不思議そうにする彼女を見ながら「私の見ている世界は彼女には見えていないんだなあ」って痛感した思い出があります。美術という領域は、そういう私のパーソナリティをそのままの状態で受け入れてくれる感じがしたんです。
高校受験も普通の高校に行きたくなくて、美術科がある高校に進学しました。父親からは早い時期に「一度は韓国に行って自分のルーツを体験した方がいい」って言われていましたが、高校の時に私はなぜかスペインへ行ってしまって。父親には「スペインに行く前にまず韓国だろ!」と言われてすごく揉めました。きっかけは、叔母の家に行った時「カルメン」という映画を見たんです。アントニオ・ガデスというフラメンコの神様みたいな人がいるんですけど、彼や彼の率いる舞踊団が演じるカルメンの演劇の世界と、それを演じるフラメンコダンサー達の現実世界が交錯していくといった映画でした。たくさんの女性が工場で働いているシーンがあるんですが、工場の描写はただ机があるだけで、彼女たちは日々の労働や自分たちが置かれている状況への怒りみたいなものをただ椅子に座って机を叩きながら手拍子やステップ、歌だけで表現していく。ジプシーの女性たちが持っている強さみたいなものが、私の祖母や叔母、母親と重なって見えて魅了されました。安易にも、私の第三の国はここだ!みたいな思いだけで行ってしまいました。
--大学時代やその後の韓国での作品について教えてください。
金沢:スペインに行ったもののあっさりと挫折して、帰国後、京都精華大学の洋画コースへ進学しました。大学院まで行って、当時の外国人登録番号や外国人登録法の歴史をテーマに作品制作を行っていました。このNumberという作品は、シリーズとして色々な表現方法を用いて内容を発展させてきました。卒業後も続けてきた作品です。
左:《Number -Self Portrait-》2003/京都精華大学(京都)、右:《Number -family-》2019/Incheon Art Platform(韓国)
《Number-1111の家-》2008/取手アートプロジェクト2008(茨木)
金沢:学生時代は作家としてやっていきたいという気持ちは全くなくて、私には到底できないと思っていました。ただ、私の中にある疑問を吐き出すように作品を作っていただけで、具体的な進路は何も考えていませんでした。大学を出た後は3年ほどはバイトをしながらフラフラしていましたね。その間、2006年から1年ほど韓国に滞在しました。まず、38度線(第二次世界大戦末期に朝鮮半島を横切る北緯38度線に引かれたアメリカ軍とソ連軍の分割占領ラインのこと)をこの目で見てみたいと思いました。境界線という実際の景色を見てみたかったんです。初めて双眼鏡越しに見たのは、ただ広がる草原や森でした。とても静かな空間を前に「おばあちゃんやお父さん、私たちはここに住む住人みたいだな」という思いに駆られました。地図上において、境界線は記号であり、線でしかない。けれど、現実の世界においては、どんな線であっても、そこには空間があり、様々な現象が起こり、物語がある。その景色は、境界線の中にいる人には見えても外側から見えないんだ、という私が漠然と感じていたことを、まるで視覚化して見せられたような気がしました。私は語学学校で日本語の先生のバイトをしながら、合間に南北に横たわる軍事境界線付近、そこに点在する施設や展望台を東から西へと見に行きました。
--2013年に制作された《Rose Line Project》について少しお聞かせください。
金沢:2006年の韓国滞在時に、境界線沿いにある最北西端に位置するペンニョン島という島があるんですが、そこへも行きました。この時は旅行で行ったんですけど、それから7年後に島にアーティスト・イン・レジデンスができたことを知って、2013年と2014年に、合わせて6ヶ月ほど滞在しました。この時に作ったのが《Rose Line Project》です。
《Rose Line Project》2013-2014/ Incheon Art Platform(韓国)
金沢:朝、レジデンスの周りを散歩するんです。島のおばあさん達がバラが好きなのか、島の気候に合っていたのか、近所の家の庭や生垣から赤いバラが美しく咲き誇る景色をよく見ていました。一方で、島のあちこちには重々しい鉄条網が張り巡らされていました。
レジデンスの隣に教会があり、その庭にあるパーゴラの下で、シスターとお茶をしていたら、島のてっぺんにある拡声器(防災スピーカー)から島内放送が流れてきたんです。私の語学力では聞き取れなかったので、シスターに訪ねると「音が割れてて、私も何いってるか分かんないわ」ってほほ笑むんですよ。当時は、延坪島砲撃事件(2010年11月23日に大延坪島近海で起きた北朝鮮軍による砲撃事件)が起きた後だったこともあって、私は緊張しながら耳を傾けていましたけど、彼女たちにとってはこの状況が日常なんだと思い知らされました。
《Rose Line Project》2013-2014/ Incheon Art Platform(韓国)
金沢:話は元に戻るのですが、滞在中、先ほど言った《Rose Line Project》という作品を制作していました。
海軍兵の宿舎前に設置されたおよそ100mの鉄条網に、5000本ほどの赤いバラ(造花)を付けていくという作業で、それを日課のように続けていました。朝、スーツケースに赤いバラをいっぱい詰めて、脚立を担いで、鉄条網のある場所へ向かうんです。脚立に昇ってバラを括りつけていく。徐々に有刺鉄線がバラの蔦のようになるのを見ながら、1人で花咲かじいさんみたいな作業を続けていました。最初は誰も話しかけてはこないんだけど、だんだんと声をかけてくれる人も増えて。「おはよう」や「こんにちは」の代わりに「ご飯食べた?」って声をかけてくれるんです。次第に、本当に差し入れをしてくれる人も増え始めて。図書館のお姉さんがヤクルトを渡しながら「いつも図書室の窓からあなたが見えるのよ」って。消防署のおじさんが心配して栄養ドリンクをくれたり。ある日、私の前を通りかかったおじいさんが「きれいにしてくれてありがとうね」と言ってくれた時、「あー、この作品は間違ってなかったのかな」って思いました。
私の中では、鉄条網にバラという発想は、1989年にハンガリーで起こったヨーロッパ・ピクニック計画*のポスターから得ていました。
(*1989年ハンガリー人民共和国時代にショプロンという町で行われた平和集会。この集会に集まった多くの東ドイツの人々は西への亡命に成功する。この出来事が後のベルリンの壁崩壊のきっかけとなる。)
ベルリンの壁崩壊のきっかけとなる1989年にハンガリーで起こったヨーロッパ・ピクニック計画のポスター
金沢:学生時代、ヨーロッパ・ピクニック計画のことを知った時、重苦しい分断という現実と「ピクニック」という言葉があまりにも不釣り合いで、だけど一方で、その壁を軽やかに飛び越えていくイメージが頭に浮かんできました。当時見た記録映像に、国境線沿いの草原を走る東ドイツの人々の姿が映し出されていて、今でも覚えています。そうした作品の背景は別として、ただ、島の人達がここを通るたびに何かしら感じてもらえたら嬉しいなと思っていました。
--「新聞紙のドローイング」シリーズを制作されたきっかけについて教えてください。
《新聞紙のドローイング》2021/『CAFAA賞2020-2021』現代芸術振興財団(東京)、撮影:木奥惠三
金沢:「Rose Line Project」を終えて、帰国後しばらくして子供を授かりました。今までのように主に現場で滞在して制作するスタイルが難しくなって、そもそも作品を作り続けることも難しいかもしれないと思いました。その時、この作品のことを思い出したんです。「とにかく、私には家での時間がたくさんある。作家としてのキャリアもあってないようなものだし、気長にこの作品と向き合ってみよう」と思いました。この作品自体を思いついたのは、先ほどお話した大学卒業後のフラフラしていた時期でした。当時、ドキュメンタリーなどを作るビデオジャーナリストの方のアシスタントをやっていて、仕事から帰ってきたら、大体こたつでそのまま寝るような生活を送っていました。疲れと自分の不甲斐なさも相まって、何となくちゃぶ台にあった新聞を鉛筆で塗りつぶしたのがきっかけでした。選挙でガッツポーズをする政治家の顔を黒く塗りつぶしていたら、彼の顔から星が溢れて、気が付けば紙面1枚を塗りつぶしていました。その時にガクッと自分の視点がズレたというか。今見ている社会やその時間が全てだと思いながら生きていた自分のすぐ横に、全く違う次元の時間軸が横たわっている、その瞬間に見えたものが美しいと感じました。この時はただの落書きでしたけど、膨大な量と長い時間をかければ、作品になると思いました。
--初めてこの作品を発表されたのは2017年の川口市立アートギャラリー・アトリア(アトリア)での展示でしょうか?
金沢:2016年にアトリアのアートコンペに出したら、運よく引っかかって。「第6回新鋭作家展 『影⇆光』」という展覧会で、この作品を初めて展示することができました。ちょうど塗りつぶした新聞紙のドローイングが溜まっていたから、ずっと広げたいと思っていたんです。いつも1枚のドローイングを描きながら、私の頭の中では、これは広大な画面の何万分の1のピースなんだと思いながら描いていました。やっと頭の中にある景色を自分も見ることができるんだという喜びがありました。アトリアでは、インスタレーションの中に巨大なテーブルを配置して、実際に鑑賞者が「消すことによって描く」という体験をできる仕組みを作りました。思春期の中学生の男子とか、ストレスがたまっている?会社員の方とか、たまにハマる人が何人かいて、そういう人はずっと椅子に座って描いていましたね。静かでだだっ広い展示空間に、鉛筆の擦れる音だけが聞こえるんです。とにかく消すという行為に夢中になる、ゾーンに入るような感覚に似ています。
《新聞紙のドローイングと日常の紙のドローイング》2017/第6回新鋭作家展 『影⇆光』川口市立アートギャラリー・アトリア(埼玉)、撮影:Moemi Abe
--「消すことによって描く」という行為についてもう少しお話を伺っても良いでしょうか。
金沢:初めて新聞紙を塗りつぶした時もそうでしたけど、私にとって消すという行為は、何かから解放されるような新鮮な体験でした。私は紙面を消すことでその上に見えてくる社会の時間軸、過去現在未来といった一直線にある時間の流れをバラバラに分解して、再構築してきました。様々な出来事が流れ去るのではなく、同じ時空間の中で浮遊する世界、ドローイングを通して漆黒の中でそれらが混在する世界を作りたいと思っていました。
展示を見に来た年配の男性が作品を見ながら「戦後の黒塗りの教科書を思い出したよ。だけど君の黒塗りは美しいね」と言ってきたんです。その当時、政府による公文書の改ざん問題が話題になっていて、いわゆる「のり弁」といった黒塗りのイメージがいろんなメディアで取り上げられていました。彼は戦後の教科書の黒塗りから70年以上経って、また違う形で黒塗りのイメージを目にしている。「この人は何を思ったんだろうか」そう考えた時、彼を通して70数年という時間を見たような気がしました。彼が時間の器のようにも見えたんです。彼にとって、戦後の教科書は今も鮮明に心の中にある。人は特にアイデンティティーや人生に深く関わる出来事をまるで昨日のことのように覚えているし、過去を自分の中に留めながら今を生きている。だけど社会はそうじゃない。一方通行に流れていく社会の時間軸の中で私たちは生きているけど、それが時々息苦しなっているんじゃないかと思いました。人間が持っている時間の感覚と社会が持つ時間の流れとの齟齬のようなものを感じて。そして、その流れは溢れかえる情報によって速くなる一方にも思えます。
--「新聞紙のドローイング」シリーズの制作方法について教えていただきたいです。
金沢:新聞紙に描かれた一枚のドローイングはそれで完結していて、他のドローイングとの繋がりを意識して描いてはいません。ただ、展示の一か月前くらいから、パズルのように組み合わせていく作業に入ります。この時に銀河のようなイメージを作り上げながら、同時に描かれている出来事を繋ぎ合わせて、何となく物語ではないですけど、自分だけのテーマのようなものを見つけて構成していきます。この作業が一番緊張するというか、冷や汗のようなものが出てきますね。いつも展示が終わると数百枚のドローイングはバラバラにして、元の1枚ずつに戻しています。また次の展示では新しく描いたドローイングと過去のドローイングを混ぜながら、1からインスタレーションを作っていきます。なので、作品のイメージもそこから見えてくる物語も展示ごとに毎回違います。
1枚のドローイングはドローイングでもありますが、インスタレーションのパーツでもあるといった感じです。
--CAFAA賞2020-2021でグランプリを受賞されてロンドンのデルフィナ財団へ滞在制作しに行かれていました。その時のことについてお聞かせください。
《Drawings on newspaper》2023、撮影:Taihei Soejima
金沢:イギリスに行った時は、ロンドンに住む友人を伝って、彼女のお友達や知り合いの方にインタビューをさせてもらっていました。彼女が通っている英語学校(ロンドンでは海外から来た移住者に向けた語学学校を無料で受講できる)のお友達やそのお友達と言ったように、数珠つなぎに紹介してもらっていました。皆、様々な事情を抱えてロンドンに移住してきた人達でした。祖父母の代から移民としてロンドンに来た人や難民として来た人、夫婦で、家族で来た人、数は多くないですがいろんな方の話を聞くことができました。生まれた国や社会的背景、育った環境も私とは違う。違うけれど、共通点や同じような感覚を持っている。もちろん差別の話もそうですが、ネガティブなこともポジティブなことも含めてお話を聞いていきました。
最初、デルフィナ財団のスタッフに「そんなこと言ったら、ロンドンは移民の人達だらけよ、ここは多様性の街だから。例えばユダヤ系移民の人たちについてであるとか、もう少し興味のあるコミュニティーにフォーカスしてリサーチしてみたら」とアドバイスされました。でも私はなんとなく出会いたかったんです。友達がカフェでお茶を飲みながら話をするように、特定の誰かではなく自然の流れで話を聞いてみたいと思いました。お茶を飲みながら、彼らが話してくれる中で、何でもないような言葉でも私の心には入ってくるような言葉を集めたいと思いました。あるインド系イギリス人の方の話は、私とすごくリンクするものがありました。彼のお母さんはアングロインディアン(イギリスにおける長い植民地の歴史の中で、インドで生まれながら英国の市民権を持ち、英国式の食事や慣習の中で育ってきた人)で、彼や彼のお母さんはイギリスではインド系移民として扱われ、白人社会から差別を受ける一方で、インド系コミュニティからは疎外される。昔、同じインド系イギリス人の同僚から「君はココナッツ(外側はブラウンだけど中身は白い)だね」と言われたエピソードを話してくれました。2国間の関係性やその背景にある複雑な歴史から、「どちらでもない存在」として生まれた彼の放つ言葉は、私の胸にとても刺さりました。
--ロンドンでは個展も開催されていましたね。
金沢:ロンドンに着いて1週間もしないうちに、日英基金が運営するギャラリーの方がデルフィナ財団のレジデンスに来られて、その時に個展のオファーをいただきました。早速会いに来てくださって、とても嬉しかったです。日英基金の展示スペースは3部屋に分かれていて、1つ目の部屋にこれまでの日本の新聞を使ったインスタレーション、2つ目の部屋にイギリスの新聞を使ったインスタレーション、応接室として使われていた最後の部屋には、この作品から派生した新しいコンセプトのドローイングを1枚だけ展示しました。
《Drawings on newspaper》2023/個展『Erase and See』大和日英基金(ロンドン)、撮影:Taihei Soejima
金沢:私はロンドンに滞在しながら、移民の方へのインタビューとは別に、イギリスの新聞を使ってドローイングをしてみたいと思っていました。滞在期間中に制作ができたらとは考えていましたが、個展までできたのはとても幸運な出来事でした。イギリスの新聞をドローイングしながら、それぞれの国によって関心事が異なる点も興味深く感じました。イギリスのドローイングのインスタレーションでは、小型ボートに乗って英仏海峡を渡り、イギリスへと逃れてきた人々の記事を核に、イギリス政府の不法移民に対する対応についての記事(例えばルワンダへの移送計画など)や、イギリスの植民地支配の過去の歴史を検証する記事など、現在と過去を緩やかな弧を描くように繋げて構成していきました。
スナク首相の顔が写っているドローイングは、私がロンドンに来て最初に描いた新聞紙のドローイングです。ロンドンで知り合った女性がこの作品を気に入って、欲しいと言ってくれました。最初は売るつもりはなかったので断ったのですが、個展の初日に彼女がお祝いにと、私にヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」という本をプレゼントしてくれました。私がこのドローイングを始めた頃はアトリエもなくて、息子を寝かしつけた後、いつも1人キッチンのテーブルで夜中に制作をしていました。その真夜中の時間は、私が「ただ制作する人」に戻れる、とても大切な時間でした。彼女から本を受け取った時、その頃の自分を思い出したのと同時に、彼女が私の作品からその静かな時間や空気のようなものを感じ取ってくれたように思えて、とても嬉しくなりました。個展の後、このドローイングは彼女にお渡ししました。今、彼女の部屋に飾ってあると思います。
--応接室に飾られたドローイング作品について、お聞かせください。
《No.06082023》2023、撮影:Taihei Soejima
金沢:このドローイングは「新聞紙のドローイング」の作品を続けていく中で、自然と生まれた作品です。新聞紙のドローイングを続けていると、ある決まった日付の新聞が気になりました。その日だけ、新聞を読む前から、そこに何が書かれていてどんなイメージが載っているのか、なんとなくわかる。朝、その日だけ、ポストを開ける前から記事の内容がわかってしまう日の新聞があることに気づきました。それが8月6日と9日の新聞でした。考えれば当たり前のことなんですが、時間というものを意識しながら制作してきたので、自分が未来から来た人間のような、その感覚が面白いなと思い描き始めました。毎年、原爆について書かれた記事を選んで、その日の空を描いています。最初はなんとなく8月6日と9日の新聞だけを描いていましたが、その二日だけを象徴的に描くのではなく、6日から9日までの数日を通してドローイングを描くようにしています。私は死ぬまでこの美しい空を描き続けることができるのだろうか、新聞や日本のメディアはこの原爆の問題をずっと問い続けていくのだろうか、人類はまた同じような過ちを繰り返してしまうのだろうか。20年後、40年後、この空のドローイングで覆われたインスタレーションを想像しながら、祈りに近いような思いで、その日は描いています。
個展では、日本から持ってきたドローイングを一枚だけ展示しました。このドローイングはまだどこにも出してなかったですし、展示すべきか少し迷いましたが、個展のアーティストトークの対談を引き受けてくれたジョナサン(Jonathan Watkins、インディペンデントキュレーター・ライター。2022年まで Ikon Galleryの館長を務めた)が、「君は次の作品を見つけたね」と言ってくれて。彼や見に来てくれた方の反応がとても良かったので、安心しました。
--ロンドンから帰国後は母校(京都精華大学)でのFATHOM展や越後妻有での展覧会がありましたね。
金沢:ロンドンから帰って2か月後くらいに、「FATHOM—塩田千春、金沢寿美、ソー・ソウエン」展が始まって。ロンドンでの個展と同時並行でこの展示の作業を進めていました。お話をいただいた時は、学生時代あまり真面目なほうではなかったので、展示に緊張やプレッシャーもありましたが、やっぱり懐かしさもあって素直に嬉しかったです。
--FATHOMでの展示ではどのようなことを意識されましたか?
金沢:私の展示スペースは、1枚のパーティションで2つに区切られていましたが、完全に分かれているわけではなく繋がりを持った空間でした。奥の空間ではCAFAAで展示した際と同じ形のインスタレーションを展示しました。実はCAFAAでこの形のインスタレーションをした時、もう少し大きな空間でもう少し大きいサイズの作品を展示をしたいと思っていました…、すみません。なので、その私の頭の中にあったインスタレーションを実現することができました。手前の空間は、普段私が使っている机や電気スタンドを取り入れ、1人の人間が1枚のドローイングを描いている気配のようなものを感じてもらえるような構成にしました。小作品だけで空間を構成するのは初めての試みでした。5つの小作品は、私のドローイングの特徴である「消すことで 見える」ということを表現したものです。5つのドローイングには、すべて「何かが何かによって消される」という内容の記事が描かれています。例えば、コロナによって日常が消える、爆弾によって町が一瞬にして消える、戦争によって命が消える、政治家や権力者によって事実が削除される。背景はそれぞれ異なりますが、社会における抹殺行為に光を当てたドローイングを展示しました。
《新聞紙のドローイング》2023)/京都精華大学55周年記念展『FATHOM—塩田千春、金沢寿美、ソー・ソウエン』(京都)、撮影:Nobutada Omote
https://gallery.kyoto-seika.ac.jp/exhibition/231117/?_ga=2.52183721.1460741527.1730865759-1068051204.1726200587
--最後に、今回の越後妻有の展示についてお聞かせください。
金沢:ここでは、京都精華大学に縁のある5人の作家が、廃校となった小学校(枯木又分校)の内外を使用して作品を展示しました。私は体育館だった場所を使って作品を展示をしました。
初めて枯木又(展示会場となった場所)に訪れた時はちょうど春で、本当に命が芽吹くではないですけど、全ての景色がキラキラ輝いて見えました。校舎は赤い屋根の小さな建物で、壁にはキツツキが寒さをしのぐために中に入ろうとして開けた穴もありました。その穴から木漏れ日みたいに光が射して、それもまた生き物の痕跡が光っているようできれいでした。
展示会場となった旧小学校(枯木又分校)と金沢さんが展示した体育館/『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024』より
金沢:その日の夜空は本当にベタですが、こぼれ落ちそうなほど星が輝いていて。この景色を再現することは到底無理ですが、自分の立っている地面から星のような光が湧き上がってくるような世界を表現できたらと思いました。このドローイングの銀河は私たちの足元から起こっている出来事によって描かれているので。これまでの展示は上から照明を当てていましたが、スポットライトを下に置く新しい方法を取り入れ、今までよりも光をより意識しました。
--今回のドローイングの構成はどういったことを意識されましたか。
《新聞紙のドローイング》2023)/『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024』(新潟)、撮影:Mai Hanato
金沢:そうですね、いつもなんとなく中心となるテーマみたいなものを自分の中で決めて、そこを起点に作っていってます。中心から枝葉のように出来事を繋げ広げていく感じです。今回は戦争が核になっているような気がします。過去の戦争の歴史と現在起こっている戦争を繋ぎ合わせて、そこには原爆投下という過去の出来事や現在も世界中で行われている核実験の問題が見え、あるいはイスラエルのネタニヤフ首相の「核爆弾も一つの手段である」といった発言やウクライナとロシア間で起こった原子力発電所への攻撃といった出来事が浮かび上がってくる。もう一方で、戦争によって起きる難民の問題から移民や外国人労働者受け入れの問題など。多角的に様々な枝葉を広げながら、ドローイングを組み合わせています。
《新聞紙のドローイング》2023/『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024』(新潟)、撮影:Mai Hanato
金沢:今回はカーテン状の作品の他に、小学校に残されていた棚を使った小作品も展示しました。建物の空間だけではなく、そこにある何かを作品の中に取り込みたいと思っていました。カーテン状の大きなドローイングは面積的な広がりを持って時間を表現していますが、棚の作品はドローイングが積み重なることで物量としての時間を表現したいと考えました。棚の中のドローイングは戦争や大きな災害において、その中を生きる個人の存在や彼らが発した小さな言葉に焦点をあてたドローイングを並べました。FATHOMからの発展ではないですが、新しいドローイングの見せ方ができたように思います。
-
金沢 寿美| Sumi KANAZAWA
1979 兵庫県生まれ、韓国籍。
2005 京都精華大学 大学院芸術研究科 修士課程 修了
個展
2023 「Erase and See」大和日英基金 大和ジャパンハウス(ロンドン)
2021 「新聞紙のドローイング」現代芸術振興財団(東京)
2018 「消して、みる。」遊工房アートスペース(東京)
2013 「Rose Line project, in “ペンニョン島”」遊工房アートスペース(東京)
2011 「38curtain」遊工房アートスペース(東京)
グループ展
2024 「越後妻有トリエンナーレ2024」(新潟)
2023 「FATHOM—塩田千春、金沢寿美、ソー・ソウエン」京都精華大学ギャラリーTerra-S(京都)
2022 「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」森美術館(東京)
2019 「Beyond the Sun」Incheon Art Platform(韓国)
2018 「トロールの森 2018」善福寺公園(東京)
2014 「BankART Life4 東アジアの夢」BankART Studio NYK(神奈川)
2013 「発信//板橋//2013 ギャップ・ダイナミクス」板橋美術館(東京)、「INTERVIEW : 525,600 Hours of Baengnyeong-do」Incheon Art Platform(韓国)
2011 「新・港村〜小さな未来都市 (BankART Life 3)」横浜新港ピア(神奈川)
2009 「No Man's Land」旧フランス大使館(東京)
2008 「Toride Art Project 2008」井野アーティストヴィレッジ(茨城)、「Seoksu Art Project 2008」 Seoksu Market(韓国)
2004 「トナリノマド Kobe Art Annual 2004」神戸アートビレッジセンター(兵庫)
賞歴
2020 「CAFAA賞2020-2021」最優秀賞(東京)
2017 「新鋭作家展 : 第6回優秀者 佐藤史治+原口寛子・金沢寿美 : 影⇆光」優秀賞 川口アートギャラリーATLIA(埼玉)
2011 「Arts Challenge2011」愛知芸術文化センター(愛知)
2010 「ゲンビどこでも企画公募2010」広島市現代美術館(広島)
2002 「取手アートプロジェクト2002」(茨城)
2001 「アクリルアワード」福田美蘭賞
レジデンシー・プログラム
2023 デルフィナ財団(英・ロンドン)
2018 「Artist in FAS 2018」藤沢市アートスペース(神奈川)
2014 「Incheon Art Platform」ペンニョン島(韓国)
2013 「Incheon Art Platform」ペンニョン島(韓国)
2008 「Toride Art Project 2008」(茨城)、「Seoksu Art Project 2008」(韓国)