INTERVIEW

Artists #28 桒原幹治

今月11日から20日まで、東京・Room_412にて桒原幹治さん個展「身を以って」が開催されます。桒原さんはCAF賞2021(https://gendai-art.org/caf_single/caf2021/)で入選、現在は東京藝術大学大学院映像研究科修士課程メディア映像専攻に在籍され、東京を拠点に作家活動をされています。
桒原さんは普遍的、かつ特殊な概念である「リズム」を新たに捉え直すことを試み、演奏者としての経験や汎リズム論の研究をもとに、映像・平面・サウンドインスタレーション・パフォーマンスなど多様なメディアでの制作を行っています。インタビューでは本展のお話を中心に、桒原さんのご経歴や制作についてお話を伺いました。


--東京藝術大学音楽環境創造科ご出身の作家さんのCAF賞入選は桒原さんが初めてでした。音楽の道を歩まれてきました。

桒原:僕は10歳の時にドラム教室に通い始めたことがきっかけで楽器を始めました。幼い時から色んなものを叩く癖があってか、「あなたは何か叩いていないと落ち着かないでしょう。」と両親からの提案で習い始めたんです。ドラムを叩くことは楽しくて、そこから中学・高校では吹奏楽のコンクールに参加したりオーケストラの団長をやったりと、継続して音楽活動をしていました。中学生の時は藝大の打楽器科を目指してレッスンを重ねていたんですが、高校に上がるタイミングで「自分よりもすごい打楽器奏者はこの世にたくさんいる」と思い一度挫折をしてしまって、勉強がよくできたので進路を東大に変更したりしました。でも、音楽の道を捨てきれなかったんでしょうね、高校3年生の夏に「自分はこんなに打楽器ができるのに、これを生かさないのはどうなんだろう。やっぱり演奏したい。」と思い直し、藝大の進路へ戻しました。

桒原の幼少期。10歳の時にドラム教室へ通い始める。

中学・高校では吹奏楽のコンクールに参加し、オーケストラの団長も務める。

桒原:藝大の音楽学部の楽器科は、どの楽器であってもピアノが弾けることが前提の入試です。僕はピアノが弾けなかったので、弾かなくても入学ができる音環に進学しました。音環の入試は通常の学力試験に加え小論文と面接が主なんですが、当時は面接をする際に「自己表現」なる謎の課題があり(笑)、その課題をベースに面接に臨みます。とある音環出身者は、面接を受けにいく道すがら思いついた単語を思い出しながら、自己表現の時間に天井を見ながら5分間つぶやき続けた、と言っていました。僕は積み木をしました。自由なので何をやってもいいわけで、その選択の理由を見て試験官は受験者の人柄を見ているのかもしれません。いわゆるイメージする音楽大学の入試とはかなり異なりますね。音楽環境創造科は主に3つのコースがあって、作品制作(作曲やメディアアート)、舞台やコンサートなどで使用される音響技術、アートプロジェクト(文化社会学、文化研究)のコースに大まかに分けられます。僕はその中で作品制作の専攻を選びました。

東京藝術大学音楽環境創造科在籍時の様子

--そちらで打楽器を続けられたんですね。打楽器奏者と思いきや、進学するにつれメディアアートにもアウトプットしていきます。

桒原:話は学部2年の頃に遡ります。僕は藝大入学とともに藝心寮(東京藝術大学学生寮)に住み始めました。そこでは音楽学部の人に限らず、美術学部の人も入居していて、僕は美術、特に絵画専攻の人たちと仲良くなったことから、学部一年の終わりの頃から「僕も美術作品を作ってみたいな」と思うようになったんです。打楽器しかやってこなかった自分がどうやって美術に関わっていけるだろうかと、共通するファクターを考えた時に「リズム」を発見したんです。僕はその発見から今に至るまで、ずっとリズム研究をしています。
学部を卒業する4年生までの間、リズムの肝とも言える「運動」というキーワードに着目し研究をしていました。「リズムに乗る」という言葉があるように、何かがドライブしていく感覚というか、研究を進めるにつれ運動の感覚を純粋に表現できるメディアは「映像」なのではないかと思い至り、リズムを根幹としメディアワークを作っていきました。CAF賞2021で出展した《Rhythm space》は学部2年~4年の間制作をしていたんですが、卒業制作に取り掛かるタイミングで「これは自動演奏装置と思っていたけど、もしかして映像装置なのでは?」と思い始めました。実際あの作品は光の点が移動して見えるというところなど、非常に原理的なデジタル映像の性質を表しているとも捉えられ、「リズムは運動なのではないか」という考え方と噛み合い、その結果映像というメディアに取り組んでみたいと思い至ったんです。その時に進学先として藝大のメディア映像専攻が適していると気がつきメ映に進学しました。

東京藝術大学音楽環境創造科在籍時の様子

桒原:僕のCVのステートメント内にある「リズムを新たに捉え直す試み」というのは一貫して僕の研究テーマです。リズムというのは音楽用語やとある事象のタイミングの話として広く知られていますが、他方別の使い方もされていて、例えば「プロのシェフの煮込みのリズム」とか、「酒造過程のリズム」とか、いわゆる「プロフェッショナル」と呼ばれる人や仕事に対して「リズム」という言葉が使われることも多くあります。一つは物理的な時間の間隔としてのリズム、もう一方はその人自身しか持っていない個性的な体感としてのリズムとして使われていていますが、僕はこのリズムの二つの意味が、同じ言葉を使っているにも関わらずどうしても遠いもののように感じてしまいます。
リズムの語源を辿ると「川の流れる形」と出てきて、揺れ動きつつも一つの形に見えるような緩やかな形というか、形の概念として語られているんです。それを知った時に、実はリズムってめちゃくちゃ複雑な語なんだなと、それで僕はその意味をなんとか包括して語れる定義を作りたいと思うようになりました。それがステートメントに書いてある「リズムを新たに捉え直す」という意味になります。さらに言えば、ジル・ドゥルーズやアンリ・ベルクソンといった哲学者を始め、思想家や現象学者が概念を語る時、「リズム」という言葉を非常に抽象的によく使います。「他と自を混ぜこぜにし二項対立を攪拌する動きとしてのリズム」とか、なんとなくわかるけど、深掘りするとよくわからない便利な言葉、みたいな感じで使われていて曖昧な言葉という印象です。リズムは非常に普遍的な言葉で誰でもなんとなくわかるし、でもその一方でプロにしかわからない「個別のリズム」というその双極の意味があって、僕はどちらも説明できる定義を確立しつつ、その両極端のリズムの性質を通して物事を見る、ということをしたいです。そしてその研究を進めていくと無意識に作品が生まれてくる、ということが多いです。作品を作っていると何か発見があって、考えていることにフィードバックされます。また逆に、考え続けているとポッとアイデアがこぼれ落ちて、それが最終的に作品になっていくこともあります。

--以前桒原さんとお話しした時に、そもそも「リズムそのもの」を研究している人が、こと日本においては少ないと聞きました。桒原さんは定義付けと同時に、リズムにまつわる作品を形に残していくことを意識されているんでしょうか。

桒原:そうですね、作品もそうですが、いつか本を書きたいと思っています。去年の個展では実は小さい本を作りました。それは「リズムのための試論」というエッセイなんですが、先にも述べているように、リズムは本当にいろいろな概念を持つのであらゆる方向に転がし甲斐があります。去年の段階ではそのバラバラの意味のまま一つにまとめてみる本を作りました。いずれはそのバラバラな状態を合一した形で本を書きたいと思っています。

昨年行われた桒原個展「リズムのための試論」より展示の様子。写真左下部にある冊子が本展に寄せて作られたエッセイ《リズムのための試論》。

--桒原さんは研究し手を動かしている中で、生まれたものが作品というアウトプットになるんですね。絵画や彫刻の作家さんとお話をすると、「こういう作品が作りたい」というのがまずあって、結果的に後から意味がついてくるという方が多いなと、桒原さんのお話と逆だなと思って聞いていました。

桒原:僕の場合は作品を作り始めたきっかけ自体が「どうにか美術と繋がりたい」という漠然とした思いの中、本当にただ、自分を言い表すとしたら「リズムだ!」という、自分の根幹に関わってくるところから始まっているので、それゆえに、作家であり研究者、という二つの足で立っているように思います。
いつも持ち歩いて、僕のバイブルにしている本で劇作家・山崎正和著の「リズムの哲学ノート」という本があります。彼は生涯を通してリズムについて研究された数少ない日本のリズム論研究者の一人で、前回の僕の個展はこの著書の第一章(リズムはどこにあるのか)からスタートしていると言えます。その展示では「リズムの概念は本当にたくさんあるね」ということを言いたくて、新作7点含め大きい作品10点をRoom_412という、今回の個展でも使用させていただくギャラリーで展示しました。あまり大きい空間ではないのに、映像、絵画、テキスト、サウンドインスタレーションなど出したい作品を全部インストールし、ギャラリーがてんこ盛りになってしまいました(笑)。映像とサウンドインスタレーションは案の定ケンカしてしまいましたが、ポリリズム(リズムの異なる声部が同時に演奏されること。)とはこういうことだ、と言うことで…(笑)。リズムの自己紹介と言える展示でした。

昨年行われた桒原個展「リズムのための試論」2021年、Room_412(東京)

桒原:そして、今回の個展では次のステップとして「身体」に着目しています。リズムを通して身体というものを考え直すというテーマを展示全体で取り掛かっています。リズムの語り方というか、リズムという概念を通してものを見た時、主体的なのか客体的なのか、受動的なのか能動的なのか、よくわからなくなるシーンが多くあります。それこそ「リズムに乗る」という言葉は、リズムに乗らされているようであって、でも積極的に自分で乗りにいかないと乗ることはできません。哲学用語で言うところの中動態的というか、ヒンディー語には”与格”という構文があり、「風邪を引く」という言葉は「風邪が私のところに留まっている」と表すようで、言語表現のとても根深いところで主客がぐちゃぐちゃにねじ込められているんです。つまり、語り方次第でリズムをさまざまな物事にぶつけたら、それは面白いものになるんじゃないかと考えています。最終的にそれが作品になるのか、本になるのかは分かりませんし、何にもならないかもしれません。リズムについて考えていると、いつの間にか今まで考えられていたこととは別のことを考えられていたりするし、逆に全く別のことを考えようとしても、僕が考えるとなんでもリズムになってしまいます(笑)。健康のことを考えよう!と思っていても、いつの間にかリズムの話になっているんですよね(笑)。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という大変有名な絵画がありますが、その言葉のアンサーとして僕の場合は「我々はリズムから来て、我々はリズムで、我々はリズムへ行く」です。ゴーギャンもびっくりです。

現在開催中の個展「身を以って」のメインビジュアル

--CAF賞に出していただいた作品はサウンドインスタレーションとしていましたが、映像作品のようにも捉えられます。

桒原:あの《Rhythm space》というシリーズの作品はリズムについて考えた、とても綺麗なリズムのイラストレーションだと僕は思っています。運動をする感覚というか、空間にリズムをそのまま入れたらどうなるのか、という実践的作品です。あの作品は音と光を出すユニットが線を描くように配置されます。音は物理的に叩くことができる機械・ソレノイドによって発せられ、光は通電したLEDによってもたらされています。順番に現象が起きることで、運動する感覚が鑑賞者にもたらされることを試みたインスタレーションです。シンプルに言えば、空間に運動を入れてみたかったんです。確かに映像装置とも自動演奏装置とも、あの作品一つでいろいろな捉え方はできます。

CAF賞2021入選作品《Rhythm space #16》2021/ソレノイドユニット、ケーブル、金属片、糸、電子回路、Arduino、Max/サイズ可変
写真:木奥恵三

--そうすると、あの作品はインスタレーションではないのかもしれないですね。

桒原:そうですね、そうかもしれません。イベントのようだったり、彫刻のような気もするし、楽器なのかもしれません。なんとも言いづらいものを作りたかった、というのもあります。
僕は多動気味で、所構わず手に持っているもので叩いてしまう癖があります。この作品を作り始めたのは、その癖を自分から切り離して見てみたい!と思ったことがきっかけで、ドラムセットを自動演奏させるというのをやってみたんです。演奏者がいなくてもドラムが聞こえる、ということをMaxやArduinoを使って実験してみました。実験をしている中で、その装置を8個、円形に並べてみたら演奏とは違う感覚があって、そこであの作品につながる何かが生まれました。これが《Rhythm space #0》です。この作品はインスタレーションとも自動演奏装置とも映像とも言えますが、究極は先ほど言った「リズム概念のよくできたイラストレーション」だと思っています。この作品は生まれながらあらゆるメディアに形容できる多義性を持っているのだと思います。

《Rhythm space #0(習作)》2018

桒原:「リズムを生み出そうとしているもの」として「身体」を考えると、「物体」として身体が捉えられます。疲れた、眠い、と言った自分の意思や精神に抵抗するものとして働く身体、身体さえなければ自分はもっと自由に動けるのに、という時に出てくる身体を作ることができました。この作品はリズムについてまだ考えていない時、僕が成人した20歳の誕生日の8月5日に、「成人するのが怖すぎる!」と思ったことから、何か今の自分にできることはないかと考えた時に行ったイベントです。母が自分を生んでくれた時間、分娩時間が4時間22分だったんですが、その倍の時間、母の方向へ向いて太鼓を叩こうと、8時間太鼓を叩き続けるパフォーマンスをしました。

《自分なりの愛と誤配、その失敗》2018/Periscopeでの配信、スネアドラム、テキスト

桒原:ところが真夏だったので、途中で脱水症状になってしまい5時間あまりでカメラの前で意識を失ってしまいました。今はもうない動画配信サービスで配信していたんですが、途中で倒れた様子も全て配信されてしまい、6時間経ったあたりで初めて見た人は、スネアドラムの後ろでぐったり倒れている人がいるだけの画像を見させられるというカオスな状況だったと思います(笑)。結局は自分で目覚めて配信を止めました。当時は全然作品と思ってやっていなかったんですが、見返したら作品らしき何かになっていたので、今はポートフォリオに入れています。

--今こうして無事でいてくださって嬉しい限りです…。その作品も含め、このインタビューに向けていろいろな資料で調べていた時、パフォーマンス作品が多いなあと思っていました。

桒原:僕は演奏者、パフォーマーでもあるので、そうですね、当然と言えば当然です(笑)。僕は演奏がそれなりに上手で、はたから見たら僕は面白い身体をしていると思うんです。それを見せたい、という気持ちが強いからパフォーマンス作品が多いのかもしれません。
演奏という行為自体は、いかにもパフォーマンスらしいライブリーな動きをするんですが、そう言った作品を作っていくと同時に、その全く逆のことをやりたいという気持ちも芽生えたんです。ではリズムの全く逆のこととはなんだろうと考え、リズムが運動なのだとしたらその反対は停止だと、動かないことだと、それで「死ぬこと」についての作品も作りました。それが「死」という作品になっています。

《死》2018/標本瓶、エタノール、インクジェットプリント(手前)

桒原:学校の課題として作ったものの一つで、満月の写真をエタノール液侵標本にした作品で、京極夏彦『魍魎の匣』に出てくる登場人物どうしの会話から着想されました。生命の燃焼を一時的に止めて照らしてくれる月光、ごく短い時間を一つの実物に留める写真、ものが朽ちてゆく速度を限りなく遅める標本という。リズムに対抗するもの、と露骨に意識して作っていたわけではないのですが、後から見返した時に、これはリズムとは反対の、「停止」として作っていた作品なんだなと気がつきました。それを踏まえると、僕のパフォーマンス作品には二種類あって、演奏によるライブリーな作品と、動かない・リズムを身体から無くした時の作品とで分けられます。
自分の体が本当に「もの」として扱われる、ということを特に意識した作品で、口をピンホールカメラにして写真を撮ったり、自分の呼吸でコーヒーを入れるなど身体をメディウムとして扱った作品があります。窓ガラスに息を吹きかけると結露が発生しますよね。その結露を集めまくって、コーヒーを抽出するという作品です。この時は10時間かけて抽出しました。この二作品は今回の個展にも出展する予定です。「自分の身体をものとして捉える」というのは、リズムを語る上で有用な考え方でもあります。

《見る口》2021/3枚組/ラムダプリント、ネガの印画紙、撮影用印画紙ホルダー、唇をすぼめた口腔

《Breath Drip》2020・2022/酸素マスク、コーヒーの粉、ドリッパー、サーバー、デミタスカップ、映像

桒原:また、多くの人はリズムは「反復」の話であると思うと思うのですが、純粋な反復だけだとそれ単体ではリズムにならず、その反復が内部で起きつつ似たものが何度も再起し更新されている状態、それがだんだん生き生きしてくるとリズムだと思うというのがリズム論の一説にあります。ドイツのルートヴィヒ・クラーゲスという哲学者は、「拍子は反復し、リズムは更新する」という格言を残しています。例としてこの作品はわかりやすいのですが、これは紙に方眼紙のような線を印刷していて、2mm間隔で線が並んでいます。それが機械的な拍子(反復)で、この線をなぞって書いていくとどうしてもズレが生じます。そのズレを増幅したり減らしたり無視したりというプロセスを繰り返すと、自動的にこの質感が出てきます。ズレないようにと意識すると紙にめちゃくちゃ顔を近づかなきゃいけなかったりして、最後まで全体が見えないままずっと作業をすると、このような形が浮かび上がってくるんです。

--今回の個展では「リズムを通して考えた身体」にフォーカスをしていると聞きましたが、今伺った話に繋がっていくのですね。

桒原:そうですね。今回は、シングルチャンネルの映像作品、口カメラやコーヒーの作品、それからもう一つ新作を出展します。身体というものの非主体的な側面を取り扱った作品、そして反対にとても主体的で変化する身体を取り扱った映像作品の2つをお見せします。
その中でも特にみなさんにご覧いただきたいと思っているのは、シングルチャンネルの長編映像作品です。プロのピアニストを招聘し、バッハの「Invention #1」という、バッハの息子のピアノ練習のために作ったと言われる曲を演奏してもらいます。最初は普通のピアノで演奏いただくのですが、その次はピアノの鍵盤と実際に鳴る音をぐちゃぐちゃにしたピアノで演奏してもらいます。ドレミファソラシド、と音が出るはずの並びが、ミレシラソドファ、とか無茶苦茶な順番になっている鍵盤で、「Invention #1」を楽譜の音通りに聞こえるように、ピアニストに演奏してもらいました。その様子を5時間くらい撮影したドキュメンタリーのような映像なのですが、とても苦戦されていました。初心者の方がむしろ弾きやすい可能性があって、プロの方のように訓練されてしまうと、逆に弾きづらいのかもしれません。最後に本番演奏をしてもらった時、とてもたどたどしい演奏になっていました。しかし見ていただけたらわかりますが、ピアニストは最後とても良い笑顔で新しいバッハを弾き終えます。端から見ればただのおぼつかない演奏に思えますが、現場には何かに到達した達成感が生まれていました。

《崩されたエチュード》2022/映像(37分・7分)、キーボード、楽譜

桒原:僕はその演奏を見た時に、その様子がコロナ禍と被って見えました。とても理不尽なルール変更を受けて、それでもなお頑張らなきゃいけないオブセッションが働く。本作で言えばコロナ・強制力が「僕」で、それを一身に受けるのがピアニストという暴力的な構図になっています。田中功起さんの映像作品「5人の音楽家が 1台のピアノで作曲する」では、バラバラな人たちがまとまらないままバラバラに、どのように同じ場所で共生できるかというテーマで臨んでいましたが、僕のこの映像作品は一人の身体に難題を集約し向かわせました。本人にしかわからない身体の感覚みたいなところに根ざしています。
トピックとしては様々なことに取り掛かっていますが、通奏低音というか、僕の場合はいつもリズムに始まり、リズムに終わっています。まさに、ゴーギャンもびっくりですね。

--ゴーギャンの一節も桒原さんの言葉締めに入れるようにしたら、それもリズムになり得ますね。

桒原:そういうことですね(笑)。村上春樹の小説がなぜ万国受けするのかという一説には「語りのリズムが良いからである」という結論に持っていった人もいるようです。詩に似ているというか、小説の物語を想像する中での体感に緩急がつけられドライブしていく感覚になるというのが、それは言語表現とは違う何かだから、万国受けするのかもしれませんと、確かにそうかもなとか。同じような例で、政治家の語り・ヒトラーの演説なども例に挙げられます。そう言った例を組み替えていくと、漫才や落語にもなるわけです。ずっと続いているだけではリズムにならなくて、途中切れ目を入れる、断絶を孕ませることで、断絶を乗り越えようと連続しているものが変わろうとしてアクションを起こします。そこによって生まれる力動性が、我々をドライブさせる力の源になり、リズムという感覚が生まれます。なのでCAF賞に出した《Rhythm space》もチカチカした音が続く中、ゴツン、という音が入ると思いますが、あのゴツン、がなければ、ただの音響装置になってしまうんです。リズム論を研究していると、その切れ目がとても重要になってくるんですね。

《objets》2022/マルチチャンネルビデオ

《プライベートなセッション》2021/シングルチャンネルビデオ/8分

《生死》2019/シングルチャンネルビデオ/6分
いずれも過去に制作された映像作品。

--今回の個展の映像作品は桒原さんの次のステップとして見逃せない作品になっていますね。本展開催に至った経緯を教えてください。

桒原:僕が学部3年の時に、グループ展をしたいという気持ちが沸き起こり、音環や油画、先端などいろいろな学科から作家を集めてグループ展「バトルフィールド」を企画しました。その時に会場としてお借りしたのがRoom _412さんでした。

Room_412で2019年に行われたグループ展「バトルフィールド」出展作家:桒原幹治、荒川弘憲、影山凜太郎、田中志遠、永田風薫


2020年は企画展「バトルフィールド2」が開催される。出展作家:桒原幹治、荒川弘憲、大町龍司、岡千穂、佐野幹仁、永田風薫、元岡奈央
Photo by はむぞう

桒原:オーナーはノイズミュージックもとても好きなんです。僕が参加している音楽チーム・カブトムシに、藝大大学院の音楽部作曲科に在籍している藤井登生というメンバーがいるんですが、彼の提出課題で「Prepared Piano(ピアノの弦にゴムやネジを挟み、音色を打楽器的な響きに変えたもの)」の技法を使って作品を作るという課題があり、彼の作品内に僕の《Rhythm space》を組み込んだんです。ピアノの弦をソレノイドでドカドカ叩く動画を送ったら「僕が本当に推したいのはこういう作品なんだよ!」とアツい連絡をくれたりしました。素敵なオーナーに巡り会えたと思っています。

—今お話に上がった音楽チーム・カブトムシでも桒原さんは活躍されていますね。

カブトムシ 左から桒原幹治、大野志門、堀聖史、藤井登生

桒原:カブトムシメンバーの藤井登生、堀聖史(CAF賞2020入選者)と僕は学部時代同じ藝心寮に住んでいて、部屋でよく飲んでいました。堀は美術学部の絵画科なんですが、楽器もとても上手で、ギターもピアノも即興でなんでも弾けるんです。藤井と僕は、なんだこの人面白い!と思ってよく堀の部屋に遊びにいき仲良くなっていきました。集まればベロベロに酔っ払いながら誰ともなく即興演奏が始まる、そして演奏によって全員トランスしてゆく…というのがカブトムシの始まりでした。

即興演奏の様子。この集まりからカブトムシ結成に至った。

桒原:そのあと藝祭でライブをやりませんかと話をいただいて、それであればちゃんと楽器演奏をして、ついでに歌も欲しいねという話になり、ちょうどそこに現れたのが大野志門でした。彼はピアノ科だったんですが、その頃「ピアノやめてラップやりたい!」と言っていて、それなら藝祭のライブでラップをやってよとお願いして、初めて現メンバー全員でライブをしました。
そのあともみんなで集まって即興演奏をするというのは相変わらず続いていたんですが、音楽とフィクションを盛り込んだラジオ番組のようなものがやりたいという話になり、それで2週間に1本のラジオをYoutubeにあげるというルールを決め、「忘れないで未知子」という企画をスタートし1年間で50曲ほど生まれました。

アルティメット・フィクション・ラジオ《忘れないで未知子24》2020
https://youtu.be/gn-dPE8xLJs

桒原:ところがバンド体制で演奏をあまりしてこなかったせいなのか、とある著名アーティストに「なんかバラバラだね」という一言辛辣なことを言われ、それがあまりにも悔しくて、見返してやろうという思いもあってバンドを結成してみようという話になりました。
ある夜、aikoの「カブトムシ」をみんなで即興演奏したんです。それをなんとなく映像で残してみてみたら音楽としてめちゃくちゃ良くって、それで「カブトムシ」と命名されました。

1stアルバム『色即ラグーン』ジャケット
2021/アートワーク:堀聖史

カブトムシは今後もどんどん活動していく予定なので、カブトムシのアルバムはぜひいろんな方に聞いていただきたいです。
それから個人の活動としては、同じリズムを研究している人たちを集めてシンポジウムをしたいなと思っています。金沢美術工芸大学の大学院に宮崎竜成さんという方がいらっしゃって彼はペインターなんですが、リズムについて研究して今は映像作品を作っているそうなんです。今回の個展では会期中どこかで彼をお招きし、トークイベントをしてみたいとも思っています。
そういった形でアート文脈に限らず、生物学者や言語学者、現象学者の中でのリズム論を語る方は日本にもパラパラといて、そういう方々を集めてリズムとはなんなのか、という話をしたいと思っています。この個展のピアノの映像もそうですが、最近は他人と協働する、他人を使う、ということに興味を持ち始め、今後の自分の作品にももっと積極的に他人と関わるということをしていきたいです。僕は話していると自分の話の結論が見えてきてしまうんですが、そこに他人の要素が入ってくると、予想していた結論がわけわからなくなってしまいます。そのように予想外のことが起きてほしいので、そしてそういうことを要素として取り入れていかないと僕は次に進めないような気がしていて、今時点ではリズムを語る人は少ないですが、仲間探しをして一緒に協働していきたいと思っています。
おそらく、自分は死ぬまでリズムについて考えていくのだろうなと思っています。リズムについて考えている方がいらっしゃったらぜひ僕に連絡をください!

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開催概要
タイトル:桒原幹治 個展「身を以って」
会期:2022年3月11日(金)~3月20日(日)11:00~20:00
※会期中無休
http://room412.jp/

写真:西田香織


桒原幹治 | Kanji KUWAHARA

1998 宮崎県生まれ
2021 東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科 卒業
2021- 東京藝術大学大学院映像研究科修士課程メディア映像専攻 在籍

個展
2021 「リズムのための試論」Room_412(東京)

グループ展
2022 「MEDIA PRACTICE 21-22」東京藝術大学元町中華街校舎(神奈川)
2021 「環ジョウ交さ点」佐賀大学美術館(佐賀県)、「CAF賞2021 入選作品展覧会」代官山ヒルサイドフォーラム(東京)、「OPEN STUDIO 2021」東京藝術大学元町中華街校舎(神奈川)、「NIME2021」上海ニューヨーク大学 (オンライン)、「(Sound)Interaction 2021」工房 親(東京)、「音楽環境創造科 卒業研究発表会 2021」東京藝術大学千住校舎(東京)
2020 「寝床 a.k.a. 混淆する幻想半径」shibuya-san(東京)、「バトルフィールド2」Room_412(東京)
2019 「ICSAF2019」尚美学園大学(埼玉県)、「千住 Art Path 2019」東京藝術大学千住校舎(東京)、「取手 Art Path 2019」東京藝術大学取手校舎(茨城)、「Marginal 音楽環境創造科有志展」東京藝術大学大学会館(東京)、「バトルフィールド」Room_412(東京)
2018 「千住 Art Path 2018」東京藝術大学千住校舎(東京)、「取手 Art Path 2018」東京藝術大学取手校舎(茨城)、「あの子のこと」KISYURYURI THEATER(東京)、「電幾飛行点」藝心寮アトリエ(東京)

プロジェクト
カブトムシ
かさねぎリストバンド
LA SEÑAS

公演・楽曲
2021 「発光する音楽」、カブトムシ 1st Album「色即ラグーン」、LA SEÑAS Live「FREE RAVE vol.2」、かさねぎリストバンド Live「水属性」、かさねぎリストバンド Live「Parabolic Flight」、LA SEÑAS Live「FREE RAVE vol.1」、かさねぎリストバンド Single「踊れる」
2020 カブトムシ Live「宝船 CROSS 2」、かさねぎリストバンド Single「通り過ぎて全部」、「スタジオ エッフェル塔ニューヨーク」
2019 LA SEÑAS Live「Countdown Party」、カブトムシ Live「Computer Music Party」、カブトムシ Live「プロテクトユアスマイル」、かさねぎリストバンド Live「絶滅種の側から」、「あいが、そいで、こい」劇中音楽、LA SEÑAS Live 「Winter Party」
2018 「Ensemble Grazioso 第2回演奏会」、LA SEÑAS「MUSICSHARE」、「日本青少年交響楽団 特別演奏会」
2017 「Toride Cycle Art Festival」、「横浜音芝居」

賞歴
2022 「第2回宮崎総合美術展 自由表現部門」準特選
2021 「CAF賞2021」入選、「東京藝術大学音楽学部」同声会賞
2020 「東京藝術大学」安宅賞

助成
2021 「三菱商事アート・ゲート・プログラム奨学生」採択
2020 「武藤舞音楽環境創造教育研究助成金」採択

Contemporary Art Foundation