INTERVIEW

Artists #17 江上越

4月24日(土)より江上越さんが軽井沢ニューアートミュージアムにて個展「にじいろ」を開催されています。
江上さんはCAF賞2020(https://gendai-art.org/caf_single/caf2020/)で入選、現在は東京を拠点に作家活動をされています。今回の個展では、2019年ホワイトストーン・銀座新館での個展「君の名は」に続く、日本国内で2回目の大規模個展となり、2020年度制作の新作34点を出展。本展のお話を含め、江上さんにご経歴、最近の制作活動を中心にたくさんのお話を伺いました。


--江上さんはCAF賞2020にご応募いただき、ファイナリストとして昨年12月に展覧会をご一緒させていただきました。その後、年明けから現在に至るまでの短い間でも、大変ご活躍されていらっしゃいます。江上さんのご経歴を少しずつ紐解きながらお聞かせください。

江上:私が最初に美術に触れたのは、両親の影響でした。幼い頃家族でヨーロッパの美術館を見たり、父が書を教えてくれたりしました。通っていた保育園の隣にギャラリーがあり、元々絵を描くことが好きだった私は、その展示を見たときに「私も描きたい!」と思いギャラリーで絵を描き始めると、周りの大人が私の絵を見て「その人の苦労も描き出したね」とほめてくれたんです。高校時代は美術部の部長をやったりしていましたが、いわゆる進学校に進んだこともあって美大を目指しやすい環境ではなく、みんな医者や弁護士になるために良い大学への入学を目指す、みたいな環境でした。
2008年の北京オリンピックを契機に、徐々に日本国内でアジアの美術が取り上げられるようになり、雑誌やテレビでも目にする機会が多くなりました。自分でも中国のアートシーンを調べてみたんですが、中国の作家で国際的に評価されているのは圧倒的にペインターが多いことに気が付きました。私はアートの中でも特に油絵が好きで、日本の近代の作家・岸田劉生や安井曾太郎、梅原龍三郎といった渋い作家が好きです。それで、中国の現代美術家の油絵の作品を見たときに、その日本の近代作家たちの作品と通じる何かがあるように思い、それはどうしてだろう、何か繋がっているのだろうか。中国に限らず東アジアのアートシーンは油絵が断トツで人気で、もしかしたらそこに各国の近代化のバックグラウンドの影響があるのではないか、<東洋的な油絵>の可能性を探求したい、と思ったんです。
ルネサンスはそもそも古代ギリシャ・ローマの文化を復興しようとした運動で、当時の西欧の文化を発展させましたよね。西洋で生まれた油絵も、もしかしたらアジアでさらに花開く可能性があるのではないか。それで私は中国の中央美術学院への進学を志しました。

中国・中央美術学院の教室アトリエにて劉小東教授に作品を見せる江上

--現在は北京の中央美術学院大学院にご在籍されながら、実際に日本に限らない、台湾や中国など東アジア各国でご活動もされています。お話の通り、東アジアではあらゆる美術作品の中でも油絵は特に人気ですね。

江上:中央美術学院に進学すると、1年生で<造形学院基礎科>という学科にまず入ります。その後は成績次第で油絵や彫刻、版画などの専科に進めるのですが、いずれも定員が決まっているので、人気の専科は必ずしも入れるとは限りません。油絵科は中国語で<油老大=油絵科は中央美術学院において一番である>と言われるほど人気で、みんな油絵科に入りたいんです。一方で若い世代にとっては水墨画などは古く感じて人気がないため、絵描きになる人はみんな油絵科に入りたいため、すごく苦労しました。

中国・雲南省にてスケッチ旅行制作風景(上)、同地の少数民族との交流でドローイングを見せる(下)

入学して最初の授業で、石膏デッサンの授業がありました。私以外はみんな中国人で留学生は私だけという状況の中、突然教授に「君は留学生だから、ダビデ像なんて描けない。だから立方体を描いていなさい。」と言われました。とてもショックでした。そう言われたのはおそらく留学生は基礎がしっかりしていない、ちゃんと描いたことがないというイメージで、私もそんな学生だろうと判断されてしまったんです。頑張って勉強をして努力を重ねてきたのに、とても悲しくて悔しくて、自分のポートフォリオを印刷して教授に見せようとしましたが「立方体の準備したから。」とだけ言われて見てももらえませんでした。その日は授業が終わってから廊下でずっと泣いていました。
デッサンの授業は3週間あって、結局私は立方体を描く他なくて、自分の中でも「むしろ立方体を超えてやる!」という思いで一生懸命描きました。2週間くらい経った頃、教授が私が描いているところに来て「みなさん、こっちに来てください。」と、他の学生を集め始めました。そして、「これが私の見たかった素描です。」と言いました。そのとき初めて褒めてもらったんです。本当に嬉しかったです。

また同時期に、北京の美大に行ったことで言葉ができない、というコミュニケーション障害をすごく感じていました。言葉はコミュニケーションの道具でありながら、障害にもなりうると自分の中でとても葛藤した時期で、それが自分の作品に何かしらの形で反映できないかと思っていました。あるとき中国の友達に「あなたの名前<江上越>は日本語でなんて発音するの?」と尋ねられたんです。中国語の漢字の読み方と日本語の読み方では完全に異なるので、中国にいるときは友人に興味を持たれてよく聞かれます。それで「エガミ・エツ、と発音するよ」と答えたら、みんなに爆笑されたんです。なぜ笑うのか全くわからないと思っていたら、中国の東北地方出身の友達が「<エガミ・エツ>は中国の東北弁で、<一袋のお米>に聞こえるよ。」と教えてくれました。そんな聞き間違いがあるのか!すごく面白い、同じ漢字なのに発音が違うだけで全く違うイメージに変換されてしまう、そのとき<誤聴>の小さな隙間に無限の可能性があるように感じました。

--日本語の中においても、私たちが標準語として使っていた言葉が、方言では面白い意味になってしまったり、逆もあったりしますね。

江上:そうですよね。それから自分の中で誤聴に興味を持ち、<誤聴ゲーム>という、能動的に誤聴させる・誤認識させるというプロジェクトを始め、学部生の時から様々な国の方に参加していただいて、その人の母国語ではない言葉で言葉を発してもらい、それを音を言葉にして書いてもらって記録・録音する、というゲームをしました。そのゲームを通して言葉の起源とは何か、言葉の起源から人間の本能の探求、言葉によって社会を再考する、といったことにアンテナを伸ばしていきました。
東京大学の生物心理学者である岡ノ谷一夫氏が「言葉の起源は<歌>である。」と言っています。ただ言葉の起源は実ははっきりと解明されてはいなくて諸説あり、一時期、歴史上では何かしらのタブーに触ってしまう可能性もあるため、言葉の起源のリサーチは禁止されていたこともあったそうです。キリスト教の旧約聖書の中にもバベルの塔(*1)が出てきたり、遥か昔から言葉の起源については謎に包まれています。
私は<誤聴ゲーム>を介して言葉を探求していきました。私の初めての個展が<誤聴ゲームではない>というタイトルの個展で、映像作品をメインとしたインスタレーションの展示でした。発話者それぞれの口の映像がモニターに映し出され、壁面にも別の映像が投影され、兵馬俑や戦争や稲毛海岸の海の映像が流れています。空間に入っていくと人々の口が同じ音を呼応していて、同音に聴こえるのですが、その空間に居続けるとだんだん違和感を感じ、それぞれの口の音は近いけれど意味は全く違うような、誤聴した音になっているんです。聴く人によって、違うように聴こえる、私が想像していたものとは全く違うものを指してきたりします。この展示では人と人との間のミスコミュニケーションは<空耳だね>と笑ってすむけれども、国と国同士だったらそれだけでは済まされない誤解を生んでしまったり、争い、それこそ戦争になる可能性もあるのではないでしょうか。壁面の映像に兵馬俑や戦争の映像を流し、海の映像を使用したのは<永遠>や<循環>も考えさせ、そういった疑問も含めオーバーラップした作品になっています。

北京での個展<This is not a Mis-hearing game>展示の様子

昨年千葉市美術館で展示をした際に、パリのポンピドゥー・センターのキュレーターの方と、北京のUCCA現代美術センターの副館長、日本の美術評論家の千葉成夫さんとトークをさせていただく機会がありました。ポンピドゥーのキュレーターの方が私の作品を見て、「<特異性 = Specificities>を<誤聴>という点だけに留まらず、人間関係の豊かさや創造性の源としているところに江上さんの作品の美しさがある。」と話してくれて、とても嬉しく、共感しました。

--ずっと<コミュニケーション>が本質的なテーマですね。

江上:通じることだけがコミュニケーションではなく、むしろ<通じないこと>、それこそ誤聴や誤解など、そういったミスコミュニケーションを通してコミュニケーションを可視化していく、というのが自分の中でのコンセプトです。
私の初期の作品の中には音や映像作品も多くあります。たとえば<叫魂>という作品です。中国の昔の風習で、子供が病気や事故に遭ってしまって意識がない状態になった時、その子の名前を呼ぶ、というのがあります。その子の魂がどこかに行って迷ってしまっていると考えから、魂を呼び戻そうとするんです。音の潜在意識を考え、自分の探求テーマでもある誤聴に繋がっていく作品ではないでしょうか。

北京元典美術館<Neither here nor there展>にて「叫魂」展示の様子

最初は音を記録し、音を通して作品を作っていたんですが、自分も誤聴ゲームに参加していくうちにだんだんとビジュアルに影響されるようになって、そのうちコミュニケーションの続きとして自然と参加者の絵を描くようになっていきました。2016年の学部の卒業制作では誤聴ゲームの参加者たちのポートレートを壁一面に並べた作品を展示しました。200枚近く描きました。最初のポートレート作品は肖像をダイレクトに描き上げていてるんですが、伝統的な肖像ではなく、描く人の雰囲気や所作·香りなど、そういったプロセスを可視化させていきたいと思い、どう上手く可視化していくかを探求していくうちに、CAF賞の展示に出したような抽象的な画面になっていきました。

中央美術学院学部卒業展:江上の作品「聴覚と視覚の間で彷徨い、出会う」 (中央美術学院美術館収蔵)

--描く人の相貌・表情だけでなく、周りを含めた全てを描いていく意識なんですね。

江上:顔はコミュニケーションのシンボルです。人間の脳は音の旋律や単語を分別するところと、人間の社会的な階級を分別するところは同じ場所にあると言われています。古代の儀式の中で銅鐸の音というのは階級を表すものでもあったそうです。上流階級の人しか聴いてはいけない音とか、日本の場合だと<色>が階級を区分するものとして使われていたりしましたよね。その脳の分別の場所がたまたま同じというのはある種誤聴にも関係してくるのでは、と思ったりもして、私の中で<顔>にさらに魅力を感じ、描きたいものとなっていきました。

--江上さんはドイツにもご留学されています。

江上:はい、ドイツのThe Karlsruhe University of Arts and Designに交換留学をしました。美術大学ですが、中国や日本の美術教育とは全く異なり、油絵そのものの技術を教えることはなく、教授と学生とで社会調査をたくさん行います。
私は授業で、東ドイツ時代にできた旧ソ連関連の会社が発掘を担当し現在は廃棄となっている炭鉱にリサーチに行き、1ヶ月くらい教授と学生とそこに滞在しました。毎日その炭鉱に関するドキュメンタリー映像も見て、どっぷりとその環境と歴史に浸かります。かつてはその炭鉱ではたくさんの人が働いていたようですが、のちにラジウムが見つかり閉鎖されてしまいます。その滞在中にラジウム・ミュージアムにも訪れその炭鉱でラジウムが見つかった経緯や、そもそも炭鉱はなんのためのものだったのかといった資料を見ながらその歴史を学びました。当時はその炭鉱で働くことはとても人気で給与も高く、憧れの職とされていましたが、ラジウムが見つかったことで人々の評価が一変してしまいました。

交換留学中の社会調査授業の様子

それから留学中の授業で一番自分の中でインパクトがあったのは、<アートセラピー>という、大学近くにある病院に行く授業でした。病院の中にはたくさんの絵が飾ってあって、なんでこんなに飾ってあるのだろうと思っていたら、その病院に入院されている患者さんはそれ以上の治療の術がなく半年以内に亡くなってしまう方たちで、いわゆる終末病院だったんです。私たちは入院されている方に終末治療として、心理学者の方と一緒にアートセラピーを行うという授業でした。心理学者の方には患者さんに質問してはいけないことなどのレクチャーやサポートを受けます。入院されていらっしゃる患者さんの多くは病気のため筋力がほとんどなくなってしまっており、若い方でも物が持てなくなっています。「自分は筆を持てないから、こんな景色を描いて欲しい」と言われて、私が隣でその通りに描くと、その方は何も言わずに静かにポロポロと涙を流していました。一体アートは何ができるのか、すごく考えました。

--その授業はセラピーを行う学生たちにテーマや課題などを出して行うのでしょうか。

授業中のプレゼンテーションの様子

江上:テーマ・課題はほとんど出ません。自分が体験したことについてよく考えたり疑問を持ったり、ディスカッションすることがメインでした。
アートセラピーの授業では私自身その環境の影響を強く受けすぎて、精神的に参ってしまい、鬱になってしまいました。ドイツは保険大国でこの終末患者にも保険がかけられているけれど、その保険は患者にとって何を保証しているのだろうとか、アートに関わらず社会についても深く考え込んでしまいました。ドイツの留学では<人と社会の関係>について学びました。
ちょうどその授業の時が真冬で、とても寒い日が続き陰鬱な気分も相まって、マッチ売りの少女のような気持ちになっていました。マッチ売りの少女はマッチの炎のイリュージョンを見て、最後は儚く亡くなってしまいます。その状況がなにかそのような光景を想起させました。私は制作を通してこの気持ちや思いを出していかないとずっと自分の中に溜まってしまうと思い、作品を作り、縁あって個展をさせていただく機会を持ちました。

ドイツでの個展<In to the light... - Egami Etsu solo show>展示の様子

そこから、ドイツの展示を見たロンドンのキュレーターの方に、ロンドンでの展示に誘っていただきました。ちょうどその時、日本が明治維新約150周年の年であり、その個展では日本とイギリスの交流史をテーマにした<対話400年>という展示を行いました。日本の近代化が受けた<鉄砲外交>、この展示では水鉄砲を持ち込み、400年の日英のコミュニケーション史について再考する展示となりました。最初にイギリスに渡った日本人は、もともとイギリスに行くのではなく別の場所を目指していたらしいんですが、天災によってイギリス船に拾われ、運命的にイギリスにたどり着いたそうです。そういうちょっとした<間違い>が歴史を展開させていくというのが、<近代>というテーマの中では非常に考えさせられます。

ロンドンでの個展<対話400年>展示の様子

その展示をしていた際「千葉市芸術文化新人賞」を受賞したと連絡を受け、日本に一時帰国することになりました。自分はこれまで海外での制作や展示の機会が多かったので、この学びの流れやその受賞をきっかけとして、もっと日本と、そして自分自身・アイデンティティに向き合いたいと強く思うようになりました。
その授賞式の際、当時千葉市長だった熊谷さんが千葉県千葉市にある<加曽利貝塚>のお話をしていたことから、自分の幼少期の記憶をたどりました。私自身千葉駅付近で育ち、稲毛海岸で貝を拾ったり、加曽利貝塚を小学校の時に行ったことを思い出して、通っていた学校にもう一度行き、かつて自分の先生だった方に話を聞いたり、貝塚の博物館に行ったり、加曽利貝塚のリサーチをはじめました。
加曽利貝塚は4000年前の縄文時代の遺跡で日本最大級と言われています。この貝塚のリサーチを進めていくうちに、今私たちが知っている考古学は氷山の一角でしかなくて、真実はわからないのではという疑問も湧いてきて、現在私たちが暮らしている千葉と、4000年前に貝塚ができた時の千葉エリアの時間軸を向き合わせた<対話4000年>という受賞者記念個展を発表しました。

千葉市文化新人賞受賞者記念個展<対話4000年>展示の様子

そのときに出展した作品には大量の貝殻を使いました。加曽利貝塚は縄文時代の人々が食べた貝殻で貝塚ができているので、私も同じように食べなきゃ!と思い、千葉市の文化財団の皆さんや家族友達などみんなに協力していただき、たくさん貝を食べました(笑)。

--それは大変でしたね(笑)。

江上:実は私貝が苦手なんです(笑)。でも作品のためだったので、夜な夜な食べて頑張りました。貝殻に小さな穴を開けて糸を通し、つなげて、広い空間に大きなインスタレーション作品を展開しました。制作も本当に大変で、最後の方は泣きながらもうやりたくない!と駄々をこねながら作っていました(笑)。
この展示ではもう一つ大きな作品を展示しました。この作品は中から急に大きな音が出る作品です。鑑賞者が見る以外の体感をし、考えさせられるようなものにしたかったんです。

千葉市文化新人賞受賞者記念個展<対話4000年>展示の様子

この受賞者記念個展をきっかけに、<自分自身の探求>というテーマにも舵を切って来ました。日本に戻ってきて幼少期の自分の写真を見たり、貝塚のリサーチの中で懐かしい場所に訪れたことで、自分の幼い頃の顔を描き始めたりしました。同時にその頃から、コミュニケーションというのは距離を縮めるためのものではなく、むしろ人と人との距離を知るためのものなのではないか。その間合いを見つめる先に、<コミュニケーション>という形が自ずと現れてくるのではないか。ドイツに留学していた時、周りにはいろいろな人種の同級生がいました。ドイツの授業ではよくディスカッションをするんですが、そのディスカッションの終着点は必ずあるとは限らないのです。答えが見つからない話し合いもあって、でももしかすると、必ずしも一つの答えにたどり着かなくてもいいのではないかと思うようになり、むしろ人々が個々にいろいろな意見や思いを抱くことで、コミュニケーションはもっと豊かになるのでは、と思うようになりました。共存のあり方としての平行線もあるのだなと。そういう意味での多様性という点で<にじいろ>のイメージが浮かんできて、色は交わらないけど個々に美しいという、夢や希望の象徴とも言える<虹>というイメージが当時の自分の心境とマッチし、コミュニケーションの象徴として、自分の絵画表現に浸透していきました。昨年上野の森美術館でのVOCA展2020でもその作品を展示しています。

VOCA展2020出展:江上出展作品「Portrait of communication」

--過去全ての体験や思考が現在の江上さんの力になっていますね。

江上:そうですね、全部つながっている感じがします。全ての体験から自分自身をより深く掘り下げられている気がします。
対話4000年の展示の後に、<君の名は>というタイトルの展示を東京で行いました。桜は満開の時期はとても短いですよね。一瞬で咲き乱れ枯れてしまう、そういった栄枯盛衰の情緒・儚さのようなものが私は好きなんです。道ですれ違う人も一瞬で、確かにすれ違っているけれどあっという間に消えてしまう。言葉や絵画もそうですが、100%自分が伝えたいことを相手に伝えるのは難しいと思っていて、能動的誤認識というのは人間の本能の一部であり、それは普遍的に存在し続けると思ったんです。そのような経緯から、CAF賞に出展した作品は<すれ違いの誘惑>というタイトルになりました。

CAF賞2020入選作品展:江上出展作品「すれ違いの誘惑-1」「すれ違いの誘惑-2」

昨年の秋、千葉市美術館学芸員畑井恵さんの企画で行った千葉市美術館でのプロジェクトでは、ご来場いただいた方への参加型の作品もありました。誤聴ゲームの<どんぐりプロジェクト>というものです。透明のキューブにどんぐりが入っています。まず参加者に誤聴ゲームに参加してもらい、いくつか私が質問をします。お名前はなんですが、とか、好きな言葉はなんですか、と聞いて、参加者はその答えをどんぐりに書きます。それから、用意してある透明ボックスに私がポートレートを描いていきます。そのボックスの中に答えを書いたどんぐりを入れて完成という、コミュニケーションを可視化·物質化していく試みの参加型プロジェクトです。ちなみに、私はどうしてどんぐりを選んだと思いますか?

千葉市美術館企画<エントランスギャラリーVol.1 江上越>どんぐりプロジェクトの様子(千葉市美術館河合館長)

--そうですね、、子供の頃どんぐりを集めて遊んだり、<となりのトトロ>でも序盤でどんぐりが天井から落ちてきて、トトロの存在の気づきのきっかけになったり、私たちにとってアイコニックかつ身近で遊びやすいものだから、とかでしょうか。

江上:確かに、どんぐりは日本人には身近なものかもしれないです。私も小さい頃意味もなくどんぐりを集めていましたね。トトロのメイちゃんが感動していたみたいに、キラキラして宝物みたいだなと思ったり(笑)。加曽利貝塚のリサーチで知りましたが、昔はどんぐりもよく食べられていて展示の作品にもリンクする部分があったり、あとはどんぐりは<種>なので、いつか芽が出るもの、として、コミュニケーションがそこで終わらず育っていくものという意味を持たせて使っていました。

このプロジェクトではいろいろな出会いがありました。あるときはヨボヨボのおばあさんが参加してくださって、突然ポンカンを私にくれたんです。彼女の友達が前に私のこのプロジェクトに参加してくれたようで、自分も参加したいから庭にできたポンカンあげる、と(笑)。また、50代くらいの男性が参加された際は、話しているうちにご自身の幼少期のモノクロの写真を見せてくれて、「あなたが言っている能動的誤認識ってこういうことだったんだね。」と言われました。どういうことだろうと思っていたら、その方は小さい頃父親と仲がとても悪く、嫌いだったと。良くない思い出もあって長い間父親を嫌厭していたが、ご自身が結婚し子供ができ父親となった時、自分の父親に対しての気づきが様々起こったようです。ところが同じ頃、彼の父親は亡くなってしまったそうです。「私たちは過去は変えられないが、現在と未来は変えられる、と言う。でも実際は過去も変えられる。自分の今の認識が変わることで実は過去も変えられるんだ。」とその参加者の男性は言いました。「昔は嫌いだった父親のことも、自身が父親になることでその苦労を知り、今思えば愛おしい存在として捉えている。それが能動的誤認識なんだ。」と言っていました。
もう一人、印象的な参加者がいます。その方は、参加中に涙を流されました。プロジェクトスペースのバックには窓があったんですが、窓に参加者たちのどんぐりキューブを並べていました。ちょうどその時午前中で日差しが入ってきて、アクリルボックスが陽の光で反射してキラキラ輝いていたんです。そのボックス一つ一つが輝き、参加者それぞれの人生が輝いているように見えました。それを見たその参加者の方は何か思い当たることがあったんだと思います。その光景を見て泣いていました。
中国・唐の時代の詩人:王昌龄の詩の中で、彼が都に出て働いたときに書いた有名な詩があります。故郷から遠く離れた都に出て忙しく働くことで、彼はなかなか故郷に帰ることができません。長い年月が経ったある日、道端で同郷の人に偶然出会います。その人が彼に「あなたは故郷を忘れてしまったんですか。」と聞くと、彼は「自分の心は玉の壺の中にある氷のようだ。」と答えます。昔は透明なものというと、玉か氷しかありません。つまり、彼が言いたかったことは「あなたたちには見えていないかもしれないが、自分の心は常に故郷を想っている。」ということだったんです。その参加者の方の涙を見た時に、私にはそのお話が重なって見え、私自身もとても感動しました。

--いろいろな方との対話があって、参加者だけでなく江上さんにとっても芽が出る、コミュニケーションが育っていく時間となったんですね。
そういえば、今年の年明けすぐはニューヨークに行かれていた、と伺いました。

江上:そうですね、文化庁新進芸術家派遣の機会で、このコロナ禍で歴史に残るであろうタイミングのニューヨークに行ってきました(笑)。今年の2月に出発して2ヶ月弱滞在した。到着すると辺り一面雪景色で、観光名所としてとても有名なタイムズスクエアに誰も人がいませんでした。マンハッタンのペン・ステーションの近くのホテルで2週間の隔離生活があって、それからようやく活動を開始という感じでした。隔離中はホテルから出られないので、オンラインで日本や中国の友人と話していましたが、ずっとそんな生活なのでパソコンと話しているのか人と話しているのか、だんだんとわからなくなっていきました。ホテルの隣の部屋からは歌が聞こえてくるのに、ドアを開けたら廊下には誰もいなくて、人は見えないが何かしらの形で存在しているという不思議な体験をしました。
また、日本でも報道されていますが、ブラック・ライブズ・マター(*2)と同じくらい問題になっているアジアン・ヘイトクライム(*3)がやはり現在アメリカでは深刻な問題になっていて、大使館から注意喚起のメールが届いたり、ホテル内でも「アジア系の方は帽子やサングラスなどで顔を認識されないくらいに覆ってください。」とアナウンスされていました。もちろんそういったことがあらゆるところで多発しているというわけではないですが、やはり緊張感はあって、ホテルの最寄りのペン・ステーション付近でも事件は起きていたし、いたずらのレベルとかではなく、駅でホームに突き落とされるとか、そういうことがリアルタイムで起きて報道されていました。その2週間隔離の後は暖かくなってきたということもあり、だんだんと人出が増えて、ユニオンスクエアでは<ストップ・アジアンヘイト>の抗議デモも行われるようになりました。アジア人女性はあまり自分の言葉を語らない<沈黙>というイメージがあるようで、そういった象徴の格好をしてデモを行い、公園近くのマンションに住む人はお花を散らしたり、車に乗っている人はクラクションを鳴らすことで自分もそのデモに賛同し<差別はよくない>という意思を見せるなど抗議活動が活発に行われていました。

--コロナ禍という世界的な混乱の中のニューヨークにいただけでも凄まじい体験ですが、それに加えて社会的な運動をリアルタイムで目の当たりにされたんですね。

江上:この経験は自分のアイデンティティについて、さらに深く考えるきっかけになりました。滞在中はニューヨークの美術館やギャラリーをたくさん巡ってキュレーターやギャラリストから話を聞く機会がたくさんありました。近年は村上隆をはじめとする日本人作家も国際的なアートシーンに台頭し、アジアソサエティで90年代初期に中国現代美術展というが開催されたり、その後メトロポリタン美術館でもアジア人作家の展示が行われ始めるなど、急激に90年代から欧米でもアジアの作家を中心とした現代美術展が増えていったようです。2010年前後にはもの派や具体のブームが来て、どうしてその時期に日本の近現代美術の展示が増えたのかとか、欧米の人はそういった作品群をどのように見ているのかなど、話を聞くうちにとても気になって、滞在中はそのことを軸にリサーチをしました。リサーチをしながら同時に、人種問題のデモなどもリアルタイムで見ていたので二度とない経験をして、滞在中はとても忙しく充実していました。

メトロポリタン美術館キュレーターJohn Carpenter氏と江上

いろいろ訪れた中でも印象的だったのは、現在MoMAで開催中の<Degree Zero>という展示です。1960~70年代のドローイングを見せる展示で、ピカソやマティスの作品がある中で日本の書道の作品なんかも含まれており、そういった作品が当時の美術にどのように関係しているかを見出していくという展示でした。その展示の担当キュレーターの方に話を聞いたんですが、彼女は「もうピカソはいらない。私たちはまだ発掘されていない作家、例えばアジアや黒人の女性作家なども含めた、もっと国際的で豊かな美術史を掘り下げていかないといけない。今後はそういった作家をメインとした展示やコレクションを増やしていきたい。」とおっしゃっていました。MoMAは国別リサーチチームがあって、欧米にとどまらない、世界中の多様な作家の作品を掘り出していくことでスケールをより大きくしているようです。

MoMA美術館キュレーターSamantha Friedman氏と江上

また、もう一つ忘れられないのがDia Beaconの展示です。全てがめちゃくちゃかっこよかったです。今はTATEから来た女性ディレクターが運営しているんですが、新しい試みとして、李禹煥や菅木志雄などもの派の作家の作品をコレクションし始めたようです。その意図はやはりMoMAのキュレーターの方も言っていた、<国際的で豊かな美術史>を目指してコレクションを見直し、アジアのリサーチをし始めた、とのことでした。彼女は日本の戦後の近代美術を三世代に分けていました。第一世代は西洋的なコンセプチュアルアートの影響があるもの派・具体、第二世代が村上隆が提唱したスーパーフラット、そして彼女たちが今一番注目している第三世代は、傾向として表面的な国の様式—日本で言えば例えば<カワイイ>や<クールジャパン>といったものに満足できない、自分の実体験から人間の本能的な部分を追求し国際的な視野を持っている世代、と言っていて私の作品を典型的な第三世代と話していました。

Dia Beaconキュレーター・Alexis Lowry氏とのトーク

--どこの地域とも限らない、国際的な視座がスタンダードになりつつあるんですね。

江上:まさしくそうですね。私はニューヨーク滞在中にChambers Fine Artというギャラリーで<Facebook>というタイトルの個展をしました。Facebookとタイトルつけた理由は、人の顔はその人の人生や物語を刻んでいて、その物語は読んでも読んでも読みきれません。コミュニケーションの象徴でもあります。そういったコンセプトで主にペインティングを展示しました。
その展示にボストン美術館のキュレーターや美術館のパトロンたちが興味を持ってくれて、とても嬉しいことにその方々とトークをすることになったんです。 その時にみなさんが「あなたの絵は<書>みたいだね。」と言っていました。彼らがいうには、日本的な絵画というと平面的だったり、装飾的・工芸的な作品が多いと言われ、しかし私の作品はそういう括りではない、水墨画に近いタッチで東洋的で新しい文脈だと。今回サンフランシスコ美術館のパトロンの方が作品をコレクションしてくれました。

ボストン美術館キュレーター:Christina Yu氏、Nancy Berliner氏、Anne Nishimura Morse氏、スポンサーら企画のアーティストトークの様子

彼らの質問の中で挙げられていたことの一つに、「村上隆の次は誰なのか」という質問がありました。村上隆は日本画を勉強し、日本美術とサブカルチャーの紐付けを構築していった作家ですが、意外とそこに日本の近代美術との接点は少ないかもしれないと思いました。序盤でもお話しした通り、私は日本の近代の作家がとても好きで、岸田劉生にしても安井曾太郎にしても、そういった作家の作品というのは伝統的なアジアの国が近代化しなくてはいけないという流れの中先進する一方で、自分のアイデンティティの確立もあり、その葛藤や融合が絵に如実に象徴的に表れているように思い、東洋と西洋の文化衝突の結晶ではないか。そこに私は興味があるので、私なりにもっと探求をしていきたいと思っていて、もしかすると村上隆とは違う、新しい世代を築くことができるのではと思いました。
また、ボストン美術館の皆さんとトークをした時に、アメリカのキュレーターとパトロンの近さを感じ、パトロンたちはボストン美術館だけでなく、サンフランシスコ美術館のパトロンでもあったりして、常に新しいものを探し、将来的に自分のコレクションを美術館に寄贈するという思いを常に抱いてコレクションしている意識があるようでした。

--欧米のパトロンやコレクターの立ち振る舞いを見ていて思うのは、美術の世界にきちんと立っている方が多い印象です。当事者意識が強いというか、美術作品をただの飾りものや資産として所有するというのではなく、未来につなげていく、残していく、歴史に参加していく意識が強いというか。

江上:キュレーターの方も、人と違うものが欲しい!と言っていました(笑)。さっきもお話ししましたがMoMAの方は「もうピカソはいらない。」と言っていたり。もういいものはみんな知っているし持っているわけで、まだ私たちがアートだと思っていないものが欲しい、と。とあるキュレーターの方のお話で、90年代に北京を訪れた際、古い建物を見つけ、文化的に非常に重要な建物と判断し、北京で取り壊されてしまう前に買い取って、解体してアメリカにそのまま持っていって建て直したということがあったようです。彼女は美術作品だけでなく<美術の周縁にあるもの>に着眼して価値をつけていくということも重要視していると言っていました。
ニューヨークではこういったお話を聞く素晴らしい機会にも恵まれ、見聞きした人種問題の報道やデモからよりコミュニケーションについても深く考えるようになったり、はたまた新しい疑問が浮かんだり、自分の作品をもっとよくしていけるなというインスピレーションをたくさん受けました。

--江上さんは最近、メディアの露出も増えていらっしゃいますね。

江上:嬉しいことに先日、<ブレイク前夜>(https://breakzenya.art/202105-18/)で取り上げていただく機会がありました。ちょうどニューヨークから戻ってきたタイミングだったこともあり、そのお話を中心にインタビューを受けました。まもなく5月18日に放映予定ですのでぜひご覧いただきたいです。

BSフジテレビ<ブレイク前夜>撮影の様子

<にじいろ> 2021 / キャンバスに油彩 / 116.7 × 91cm
BSフジテレビ「ブレイク前夜」出展作品

それから、Forbes Asiaが主催する<Forbes 30 Under 30 Asia 2021>(https://www.forbes.com/profile/etsu-egami/?list=30under30-asia-the-arts)にも選んでいただきました。ちょうどこのインタビューを受ける数日前に突然、「Congratulations!」と題したメールで連絡が来ました。一瞬詐欺メールかなと思いました(笑)。実は昨年、Forbes Chinaの方では選んでいただいたこともあったんですが、今回は<Asia>の方で選んでいただきました。いろいろな分野で活躍する若い人をピックアップしていますが、日本の芸術分野では私一人だったので、本当に嬉しかったです。

Forbes Asia 30 UNDER 30での江上の紹介

その後、中国のHE Art Museumが作品を収蔵してくれるなど、今でこそいろいろな活躍の場やこのような嬉しい機会に多く恵まれていますが、いきなりここまで来たわけではなくて、この道を切り開くまでの自分の中の葛藤や苦労というのは当然あって、いろいろな方の支えがあったからこその今と思っています。

--一つ一つの見えないところの苦労がたくさんあった中で、あらゆる体験を吸収し、自分の制作や活動の糧に変えられるエネルギーを江上さんはお持ちなのだと思いました。

江上:CAF賞も大事な経験の一つですね。日本での展示の機会はあまりなかった中で、ペインターに限らない、いろいろなマテリアルを使った作品と一緒に展示することができました。作品も作家もみんな元気で、展示中はお互い作品を褒めあったりして楽しかったです(笑)。来場者の中には今美術予備校で勉強している方や若い学生さんがたくさん見に来てくださって、急に握手をしてきた方もいました。「実は僕は漫画っぽい作品が好きではなくて、最近の日本のアートシーンに不安を覚えていましたが、江上さんの作品を見て嬉しくなりました!」と言ってくれて、私もすごく嬉しくて、10代くらいの若い世代の方が自分の作品に共感してくれたことや、普段接しないいろいろな方にお越しいただけて良い機会でした。CAF賞で一緒に展示した作家さんとは10年後とかにまた全然違う機会で一緒に展示できたら嬉しいです!

--CAF賞2020のみなさんは展示が終わってまだ半年も経っていませんが、江上さんをはじめとしてすでにいろいろなところでご活躍されていらっしゃいます。江上さん、みなさんのこれからがとても楽しみです。

江上:今後は5月にグッゲンハイム美術館のアレクサンドラ・モンローというキュレーターとトークを行い、5月末にはパリで個展の予定があります。

江上越個展「Social Distancing」
A2Z Gallery, Paris 2021年5月29日(土)〜6月19日(土)

7月末には銀座蔦屋で個展を開催予定です。現在軽井沢で開催中の個展には、昨年秋に千葉市美術館で行ったどんぐりプロジェクトのキューブも出展しています。この個展のタイトルは<にじいろ>とつけましたが、<交わらないが個々に美しい>という意味や、<虹>という象徴的なイメージと、自分のコミュニケーションに対する認識と共鳴したことで、展示タイトルとしています。日本国内では2回目の個展で、新作34点を出展しています。今月30日まで開催されているので、コロナ禍で県を跨いでの移動がなかなか容易ではありませんが、こちらもぜひたくさんの方に見ていただきたいと思っています。

江上越個展<にじいろ>展示会場の様子

(*1)—人々ははじめ皆が同じ言語を話していたが、塔をつくり神に挑戦しようとしたので神は塔を崩し、すべての人々の言語を異なるものに変えてしまったという神話。
(*2)—アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為をきっかけにアメリカで始まった人種差別抗議運動のこと。
(*3)—アジア系アメリカ人への憎悪犯罪。


開催概要



タイトル:江上越 個展「にじいろ」

会期:2021年4月24日(土)~2021年5月30日(日)11:00~17:00

会場:軽井沢ニューアートミュージアム(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1151-5)

https://knam.jp/gallery/2021/15008/

江上越 | Etsu EGAMI

1994年千葉県生まれ、日本、中国、ヨーロッパを中心に活動。千葉県立千葉高校卒業後、ドイツHFG、北京・中央美術学院へ留学、現在中央美術学院大学院博士課程在籍中。
豊富な海外体験からミスコミュニケーションを可視化することでコミュニケーションの本質を再考し、言語の起源を含むさまざまな学問領域から探求している。とりわけ、言葉による社会の再考に傾注。彼女のプロジェクトは、そのサイトスペシフィックな現地調査と文献資料で国際的にも高い評価を得ている。直近では「Facebook」(ニューヨーク)、「にじいろ」(台北)、「In to the light... Etsu Egami solo show」(ドイツ)、「Dialogue beyond 400 years」(ロンドン)、「This is not a Mis-hearing game」(北京)、「対話 4000 年―江上越個展」(千葉市芸術文化新人賞受賞プロジェクト)、などの個展を開催。
賞歴にForbes Asia 30 UNDER 30 、ソヴリンアートファンデーション主催のアジアンアートプライズ、CAF賞2020ファイナリスト(代官山ヒルサイドフォーラム)、VOCA展2020(上野の森美術館)、第二回北京国際メディアアートビエンナーレ(CAFA ART MUSEUM)選出など。
2020年には千葉市美術館企画のプロジェクト「エントランスギャラリーVol.1 江上越」に選出。会期中には「コミュニケーションのかたち」をテーマに、パリ·ポンピドゥーセンターキュレーターのJulie Champion、UCCA現代アートセンター副館長のYou Yang、美術評論家の千葉成夫と江上越の四名でインターナショナルトークを行った。

Contemporary Art Foundation