INTERVIEW

Artists #27 スピリアールト・クララ

2月5日から3月26日まで、当財団事務局ギャラリーにてスピリアールト・クララさん個展「くらら せきらら」が開催されています。スピリアールトさんはCAF賞2020(https://gendai-art.org/caf_single/caf2020/)で最優秀賞を受賞、本展はその副賞として開催しています。日本で初となる今回の個展では、スピリアールトさんが2009年から2017年まで描き続けた「せきらら」な絵日記ドローイングという制作の根源に焦点を当て、陶芸へと表現の幅を広げていった過程を紹介。個人または集団の文化的アイデンティティ形成におけるシンボルの役割、そこから読み取れる自然と人間の関係を主なテーマとし制作をされています。インタビューでは本展のお話を中心に、制作についてや活動の拠点とされているベルギーのお話を伺いました。


--この度は個展の開催、おめでとうございます。この個展はCAF賞2020でグランプリを獲得された副賞としての開催で、クララさんには2020年受賞時から本展開催まで約2年間、ずっとお世話になっています。CAF賞はありがたいことに日本の美術系教育機関に通う学生さんには広く浸透いただけていますが、クララさんは高校生の時からベルギーにご在住で、現在もベルギーを拠点に作家活動をされていらっしゃいます。CAF賞をどうやって知っていただけたのでしょうか。

スピリアールト:そうですね、私は高校2年生の時にベルギーへ留学しました。日本のアートシーンやアワードの情報などはほとんど知らなくて、私の姉も作家なんですが、いろいろな芸術助成に応募をしているのを見て、そんな公募があるんだと知る、という程度でした。私も日本での活動のきっかけを探し始めて、そんな時、私の父の知り合いの方を通じて、CAF賞の存在を知りました。出品料や作品輸送費がかからないし、応募もオンラインで簡単にできたので、軽い気持ちで応募したのを覚えています。初めて挑戦した日本の公募で「作品審査を通過した」と連絡を受けたのは、私にとって大事件でした。
私は小さい頃からアーティストになりたいとか、こんな作品を作りたいみたいな気持ちはなくて、中学生の時などはいわゆる勤勉な優等生タイプでした。なんとなく大学へ進学して、国際関係の仕事に携わるとか、そういうことはぼんやり考えていましたが、はっきりとこれになりたいというのはありませんでした。日本の高校に進学して2年生の秋から、ベルギーのブルージュという街の美術高校に一年間留学をしました。私の父の出身国がベルギーで、もう少しベルギーについて知りたいという気持ちと、姉が先にその高校へ留学していてとても楽しそうだったので、ただ漠然と私もそうすべきなのかもと思い、自然な流れのように留学しました。ベルギーに拠点を移すぞ、とか意気込んでいたわけでは全くなくて、一年留学したら日本に戻ってくる予定でした。実際にベルギーでの生活が始まると、思っていたイメージと全く違い、さまざまなカルチャーショックによって自分がその時まで信じていたことが音を立てて崩れていくような気持ちになり、動揺してしまったのを覚えています。言葉のわからないベルギーでコミュニケーションが上手く取れず、孤独な時間を過ごしました。そんな時、留学先の美術高校のホビン先生の授業で、「らくがき帳をつける」という制作課題が出されました。その毎日のらくがき帳は、私の気持ちを思う存分吐き出せる唯一の救いの場所となりました。らくがき帳をつけることはとても楽しくて、私にとってはとても大事なことでした。手放せない友達のようで、孤独なりに自分の居場所を見つけていたんだと思います。そのらくがき帳が、本展で発表している「絵日記」に繋がっていきます。

個展「くらら せきらら」より、実物の絵日記をページを開いて展示(2013〜2017)写真:木奥恵三

一年が経って留学が終わり、日本に帰ってきてからは、絵を描く行為が必要ではないというか、描かなくてもよい環境になってしまったことに、物足りなさを感じていました。日本の高校に戻ったのですが、そこでもあまり馴染むことができず、どこにも自分の居場所がない感じがしました。
そして、高校の修学旅行で沖縄に行っていた3月11日、東日本大震災が起きました。私は日本に帰ってきてから、このまま日本で進学をしていいのかずっと悩んでいたのですが、あの震災をきっかけにベルギーに戻ろうと決心しました。東日本大震災の惨状を見て、これから日本で進学することの迷いなど、頭の中でグルグルと様々な思いや感情が混ざってしまい、冷静になりたいという気持ちでまずはベルギーに戻ってみよう、と思ったんです。あの震災が起きた時、「日本かベルギーか、どちらかを選べ」と迫られているような恐怖がありました。
私は震災直後に出国したのですが、当初は家族をあの状況の日本に置いていくことも、ベルギーに行くこともどっちもとても不安でした。ベルギーに着いた時、早く日本に帰りたいとも思ったのですが、一方で不思議な安心感がありました。みんなが絵を描いたり作品を作ったりしている環境に戻ったことが嬉しかったんです。留学していたブルージュの美術高校で、卒業制作として3.11で私が体験したことを描いたグラフィック・ノベルを作りました。3.11前後はたまたま姉も日本に帰国していて、余震が恐ろしくて一緒に寝たり、マスクとゴーグルをつけて庭の金魚に餌をやったり、当時の私の恐怖や動揺している様子が描かれています。そうやって絵を描くことで、自分の身に起きた恐ろしい出来事を少しでも消化しようと、整理しようとしたんです。

美術高校の卒業制作 グラフィック・ノベル⦅3.11⦆(2011)

このノベルの制作をしている時に「やはり絵を書くことが楽しい、私は絵の勉強がしたいんだ」と気が付き、この作品を持って美術大学を受験しました。晴れて、その年の秋からベルギーのゲントにあるLUCA School of Artsに進学することになりました。この作品を作ったことで、私の人生は「作品で表現していく」にシフトしていきました。ベルギーに戻ったことで、一旦ストップして待っていた絵日記もまた描き始めました。オランダ語が十分にできなくても、芸術表現を通して自分の気持ちを表すことができるというのは私の心の支えでした。絵日記を持ち歩いて絵を描いたら人に見せたりして、その時は私の絵が私の言葉でした。そういった習慣が身に付いたからか、自分の身の回りで起きた出来事や自分の感情が揺さぶられた時に何かが生まれるスタイルのようなものが、今も一貫して制作の根源にあります。一つだけ言えるのは、もし高校の時にベルギーへ行っていなかったら、きっと私はアーティストにはなっていなかっただろうということです。

ブルージュの美術高校の卒業写真(2011)

--ご経歴を見ると、一度大学院を修了されたのち、もう一度同校で学ばれていますね。

スピリアールト:ベルギーの美術大学は日本の大学と違って学部が3年、修士課程は1年か2年どちらかを選択できます。私はまず絵の勉強がしたかったので、LUCA School of Artsの版画・ドローイング科に入学しました。高校時代から続けていた絵日記をやりたいということを教授に伝えて、半ば盲信的に絵日記だけをひたすら続けて描いていました。教授からはいろいろなことに挑戦するようアドバイスを受け、映像作品や壁画を制作したこともありますが、ずっとアンダートーンで続けていたのは絵日記でした。初めは出来合いのメモ帳を使っていましたが、次第に自分で様々な紙を集めて製本するようになりました。結局16歳の高校の時の課題から始まり、その後8年間ほど続け、最終的には絵日記は68冊にもなりました。私は当時、絵日記に対して強迫観念的に「私はこれを一生やっていくんだ、死ぬまで続けるんだ、やめたらおしまいだ。」と確信していて、自分が他の方法で強い表現ができると思っていませんでした。自分の内面を掘り下げて出てくる表現だけに価値があると思っていて、それを他人に見せてどうしたいんだろうなどとまで考えが及ばず、ただひたすら続けていることが大事なんだと思っていました。何かに突き動かされて描くというか、湧き上がるものを抑えられずに手を動かしてしまう感覚で制作と向き合っていくことでしか作品は生まれないと信じ、年齢を重ね違う作品の作り方をするようになるとは、当時はわからなかったんです。
ところが25歳の頃から、次第に力がなくなってきて、「もうこの絵日記を描く意味はないのでは」と思ったんです。突然やる気がなくなったとかではなくて、自然と、もう必要ないかもしれない、みたいな気持ちが湧いてきたんです。もうこの言葉で話すのは何か違う、という気持ちになったというか、内面に閉じ過ぎている世界だったので、それが息苦しくなってしまったのかもしれません。学校生活を終えて、近くで見てくれる人がいなくなったというのも理由としてあったと思います。大学院を修了した後は、まだ飛べないのに巣から落ちて地面でバタバタしている雛のような、そんな3年間がありました。今思えばその3年間は自分にとって必要な時間だったのですが、その時はガーデニングやアルバイトなどをして過ごしていました。なんとなく家でプレイ・ドー(*カラフルに色付けされた小麦粘土。知育玩具としても有名。)を使って、誰に見せるでもなく、何十個ものお花を作っていたんです。

ゲントの自宅にてガーデニング、育てた百合(2018)

自宅の地下で作っていたプレイ・ドーのお花(2017)

私は大学院の修了制作で、絵日記の総まとめとして、本展でも展示しているお花の噴水の作品を作ったのですが、私の大学のLUCA School of Artsにはベルギーでも屈指の陶芸工房が備えられていて、修了する3ヶ月前にその工房に初めて行って、陶のお花を作ったんです。それでその施設のすごさを覚えていたんですが、修了してしまったからその工房を使うことはできませんでした。

個展「くらら せきらら」より、噴水作品《自画像》(2015)写真:木奥恵三

毎日家でプレイ・ドーでお花を作ったり、大学の工房を思い出しているうちに、陶芸の勉強がしたいなと思うようになり、落ちてきた巣によじ登って戻ったというか、母校の陶芸科に入り直したんです。その陶芸科で勉強した時に生まれたのがCAF賞でグランプリをいただき、本展でも展示しているあの《紋章》の作品でした。あの作品は初めて私自身が社会と切り結んだ作品でした。絵日記は私が開いて見せないといけないけれど、陶芸は立体としてそこに存在するものなので、作品自体があるだけで周りと関係していると学びました。「自分の話だけでなくてもいいんだ」と気づけたことが一番の大きな収穫でした。それから、作品は自分から少し距離があった方が、他の人とより深く共有できるのかもしれないということも学びました。いろいろと学び直すことができて、とてもよい3年間でした。

LUCA School of Arts 陶芸科のアトリエで制作中の様子(2019)

LUCA School of Arts 陶芸科にある釉薬の顔料

紋章制作中のメモ(2020)

紋章制作中の自宅アトリエ(2020)

--何事も実践して理解されていったんですね。

スピリアールト:まさにそうでした。陶芸を始めたきっかけの一つに、素材が魅力的だったという理由もありました。私は水が豊かな日本で生まれ育ったおかげか水がすごく好きで、交わりたいという気持ちがありました。あの噴水の作品にも水が使われていますが、ドローイングのモチーフにもよく水が登場します。それから、小さい頃から植物や虫が大好きで、庭でよく遊んでいたので土も身近で、土と水が合わさった粘土というのは、私にとってはしっくりくるマテリアルだったのではと思っています。粘土を触り出した頃も特に、陶芸家になりたいとか、器を作りたいとか、はっきりとした目的はなくて、ただ素材が魅力的だったから扱っていたんです。
絵日記からこの陶器の《紋章》の作品まで、アウトプットは異なりますが、私の中ではずっと繋がっています。絵日記の中でも私自身が動物や植物と混ざり合っているような絵をたくさん描いてきたんですが、それがレリーフになって、紋章という歴史的・社会的なコンテクストが与えられて、あの作品が完成しました。

CAF賞2020入選作品展覧会にて、最優秀賞受賞作品 ⦅紋章⦆(2020)

⦅紋章⦆のひとつ、ライオンと自分の体を融合させたイメージ(2020)

紋章を作った年は、特に父親を意識した年でした。ベルギーという国に焦点を当てたんです。ベルギーにはフランダースと呼ばれる地域があって、その地域の旗や紋章、レストランの器など至る所にライオンのシンボルが使われています。小さい頃から私は年に一度、フランダースの父方の実家に遊びに行っていたんですが、家族で食事をして温かいスープを飲む時にそのライオンが装飾された器を使ったりして、そんな思い出から私にとってはライオンというのは、暖かく自分たちを迎え入れてくれる優しい印象があったんです。ところが、自分が実際にベルギーに住むようになって、実はそのライオンのシンボルを使うことで、「この地域以外の人間は出て行け」という意味を持たせているような人たちがいることを知り、ライオンそのものから威圧感を感じるようになり、自分がウェルカムされているだけではないという現実を知りました。
作品を作るアーティストはみんなそうではないかと思うのですが、日常に感じている違和感や、こうだったらいいのにということに敏感で、そういった疑問を制作のスタートとすることが多いのではと思います。私の場合もそうなんですが、作品を作ることでその疑問の答えを見つけようとするというか、必ずしも答えは出ないのですが、腑に落ちない気持ちや違和感に、なんとか抵抗をしたいと思ったんです。それで、小さい頃から身近だったライオンという威圧的にも捉えられてしまうシンボルを、自分と親しいものと一緒に混ぜて、ライオンの仲間に入れてもらおうというような感覚で、《紋章》の作品を作りました。自分が守られていると思えないから、守られていると思えるシンボルに変えてしまおうというか。それで私が好きな虫や鳥、自分の体などのイメージとライオンをつなげていきました。それから、この紋章を作る準備の段階で、日本の家紋についても調べました。小さい丸い紋章の作品は日本の家紋に形をなぞらえています。私の母方の実家の家紋は「揚羽蝶」を模しているのですが、ヨーロッパでは紋章に昆虫が使われることがほとんどありません。そういった文化間の違いも面白いと思い、自分にとっては身近だった蝶々と女性の身体が混ざったようなシンボルも作りました。

個展「くらら せきらら」より、CAF賞2020最優秀賞受賞作品 ⦅紋章⦆一部(2020)写真:木奥恵三

--CAF賞2020に続き、また《紋章》の作品を拝見できて嬉しいです。今お話に上がった紋章や噴水の出展に際し、この個展の会場構成にもこだわりを感じます。

スピリアールト:この個展の会場は「庭」をコンセプトに構成されています。もともと私は「庭」というキーワードに惹かれ、ヨーロッパでよく見られる人工的に手入れされたシンメトリーな庭園や、中世のシスターたちが作り上げてきた「閉ざされた庭(Hortus Conclusus)」というモチーフについて詳しく調べ、作品に取り入れてきました。祈りや願いがこもった小さな管理された庭は、自分にとって心地よい場所であり、大好きな空間なので、この展示場も居心地のよい庭のような場所にしたいと思いました。会場構成を考えていく中で、囲まれた庭の中で水が流れていたらオアシスのような空間になるなと思ったんです。一般的なギャラリーでは空間の中にあまり座れる場所がないので、リラックスできるように座れる場所を作ったり、来た人がゆっくりできるように箱庭のような構成にしました。でも東京の、特に六本木にいる人たちは、みんなあまり時間がないんですね(笑)。もし時間が許されるなら、ベンチに座って画集を開いて、時折噴水や紋章を眺めながらゆっくり過ごして欲しいです。

個展「くらら せきらら」より、展示風景 写真:木奥恵三

--今回個展を開催するにあたり、68冊もの絵日記の中からクララさんが厳選した絵がまとめられ、画集を発刊いただきました。

ベルギーのMER.Books社より出版された画集《SEKIRARA》写真:木奥恵三
(*画集はOIL by 美術手帖にて販売中:https://oil.bijutsutecho.com/artbooks/730/1100014422)

スピリアールト:選んだ絵の中には過激な描写なども含まれているのですが、そういったイメージの中には、自分が見た夢を描いていることもあります。私は絵日記を描き始めた当初、感情をうまく表現できないことが多かったので、その日常での行き場のない怒りや恐怖、歓びなどをありのまま描いていました。暴力的なイメージも含まれているのですが、その暴力性は人に向かっているというよりも、自分に向かっているものが多い気がします。そうすることで、実際に自分を傷つけなくて済むようにとか、自分のやっていることや置かれている状況にわざとユーモアを持たせて茶化し、気持ちのバランスを取っていました。もちろん平和な絵もたくさんあって、その二面性というか、過激な時、穏やかな時が織り混ざっている絵日記の模様が、まさに人生そのもののようだな、と振り返って思います。全部で約4500枚の絵日記の中から240枚を選びました。画集には収録されていない他の絵の中には、もっと恥ずかしいような、露骨な表現だったり、テキストだけのものなどもあったりするんですが、絵日記を描いていた当時を知っている身近な人たちと一緒に厳選した絵を、出版社の方と意見を出し合いながら構成していったので、全ては見せられませんが、自己紹介としてとてもよい画集が出来上がったと思っています。絵日記を見直したことでタイトルが決まったわけではありませんでしたが、この個展のタイトルが「くらら せきらら」というのは、画集が出来上がった時に本当にぴったりだなと改めて思いました。
画集の冒頭には私がとても尊敬するベルギーの詩人デルフィーヌ・ルコンテ(Delphine Lecompte)さんに寄せていただいた詩を載せています。数年前に彼女の詩集を友人からもらって、その詩集を読んでとても感動して、画集を作ろうと思った時に、ぜひ彼女に詩を書いてもらいたいと思ってお願いしにいきました。もともと知り合いとかではなく、なんとかして連絡先を手に入れ、お忙しい方なのでダメもとで絵日記の絵を100枚くらい添付してメールをしたら次の日に、「あなたが絵でやってきたことは、私が詩でしてやろうとしていることと同じことです。」と、是非画集のために詩を書かせて欲しいとお返事をくださいました。本当に嬉しかったです。スーツケースに絵日記をたくさん詰め込んで、彼女の家まで行ったところ、2時間くらいかけて絵日記をご覧になり、後日詩を送ってくださいました。デルフィーヌさんとは、私が絵日記を始めるきっかけを作ってくれたホビン先生に習い、同じ美術高校に通っていた、という面白い共通点があることもわかりました。ホビン先生はとても熱心な先生で、もう退職されてしまいましたが偉大な方でした。デルフィーヌさんも自分の生活や生き方を包み隠すことなく、他に比べられる人がいないくらい素敵な詩を生む素晴らしい詩人なので、この画集をきっかけに協働できたことはとても嬉しかったです。

--ちょうど画集をお作りいただいていた2021年はベルギーでも日本でもクララさんは展示が続きご活躍されていました。

スピリアールト:そうですね、ベルギーでは、ゲント市と金沢市の友好50周年を記念するインスタレーション作品を展示したり、大型の作品にも挑戦しました。私の姉が、レオン・スピリアールトというベルギーの画家との血縁関係について考察する映画を作っていて、その映画の舞台装置として私の陶芸作品が登場します。私も、もともと自分の作品の中で「家族」や「血」、「紋章」といったテーマを扱ってきたので、姉に「陶芸で家系図を作って欲しい」と頼まれたとき、共鳴し制作しました。その中には、ベルギーの代表的な野菜「芽キャベツ」をモチーフにした作品があるのですが、血管を思わせるような赤い線を表面に描き巡らしたりして、トーテムポールのようなファミリーツリーにも見える、大型のモニュメントに仕上げました。この作品が後に海辺で展示された時、背景でフランダースのライオンの旗がはためいていたのは、私にとって感慨深い光景でした。

金沢 × ゲント友好50周年記念の作品《Happy 50th Anniversary》(2021)、ゲント市現代美術館
S.M.A.K.の後援による展示は、多くの訪問客で賑わった。

ゲント市によるインタビュー映像:https://youtu.be/KTe9uIjMmCI

大型の陶芸作品、リサ・スピリアールト監督映画 ⦅SPILLIAERT⦆より(2022)©️Lisa Spilliaert

Knokkeでの屋外展示⦅Spruiten(芽キャベツ)⦆(2021)、後ろにはフランダースのライオンの旗が… Photo ©️Stijn Cole

それから実は、今回の個展の会場の見守り番として、大型作品と同時に作った鳥のような生き物の新作をひとつ、展示会場にこっそりインストールしています。私は鳥を母性と結びつけて考えることが多く、あの作品は一見鳥の形をしていますが、人間の胸のようなものがあって、母親が持つ全てを包み込んでくれるような、お守りのような生き物なんです。展示会場全体を高いところから見守ってくれています。

個展「くらら せきらら」の見守り番⦅Harpij⦆(2021)

日本では銀座蔦屋書店での展示が、CAF賞に続いてさまざまな人に作品を見ていただける、とてもよい機会となりました。
この個展は2月から開催していますが、後半の3月・一ヶ月の期間中は絵日記のページを変えて、展示替えのような形でまたリスタートします。たくさんの人にいろいろな絵日記を見て欲しいという気持ちと、あのガラスのショーケースの中でページが変わるということが生き物のような感じで面白いなと、展示替えを思いつきました。3月5日には写真家の小池浩央さんと2人でオンラインのトークイベントを開催します。小池さんはもともと姉の友人で、かれこれ10年くらいの長い付き合いになります。ベルギーのダンスカンパニーRosasの池田扶美代さんの写真を撮影しにいらした時に、現地で知り合いました。当時私は絵日記を夢中で描いていて、小池さんにそれを見せたところ、「この人は私をわかってくれる」と思える反応をしてくださって、それからずっと交流があります。この個展は日本での私の自己紹介の展示にあたるので、自己紹介なのであれば私をよく知る小池さんをお招きしてトークをするのがよいかもしれないと、対談相手にお願いした次第です。小池さんは「クララの《紋章》の作品だけ見ると、スマートでコンセプチュアルな作家と思われてしまうかもしれないけれど、本当はもっとドロドロしたところから出てきている作家なんだと言うことが、見ている人に伝わるトークにしたいね。」と言っていました。家族以外で私を昔から見守ってくださっていた方の一人で、このトークでもベルギーのお話から制作まで、せきららな話ができるのではないかと思います。
この個展が終わってベルギーに戻ったら、いくつか展示の予定があります。屋外作品を作ることにもますます興味が湧いているので、今後はモニュメントのコンペにも応募しようと思っています。

私が尊敬するアーティスト、楳図かずおさんが先日ラジオでお話しされていた言葉で、「美しいだけが美術ではない、こんなの見たくない、こんなものを見せてしまってよいのか、というところまで見せるのが美術だ」とおっしゃっていて、とても感動しました。私もその通りだと思い、勇気をもらいました。以前絵日記の中で私は、「みんなに勇気を与えるアーティストになりたい」と書いていて、その当時どういう気持ちでその言葉を書いたのかは覚えていないのですが、その思いは今現在も変わっていないので、日本とベルギー、そして私の作品を見てくださるすべてのみなさんに、少しでも勇気を与えられるアーティストでいられたらいいなと思っています。

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開催概要
タイトル:CAF賞2020最優秀賞受賞作家 スピリアールト・クララ個展「くらら せきらら」
会期:2022年2月5日(土)〜3月26日(土)
開廊時間:会期中の木・金・土、12:00〜19:00(日・月・火・水、3月17日休廊)
会場:現代芸術振興財団(東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル4階)
入場無料、事前予約不要
https://gendai-art.org/caf/spilliaert/

◆関連イベント:くららと小池さんのせきららトーク
スピリアールト・クララ × 小池浩央
2022年3月5日(土)19:30〜21:00
*オンライン配信のみ
トーク配信URL:https://www.youtube.com/watch?v=xZvrfKev7rc

*トークへ向けて質問のある方は下記Googleフォームよりご応募いただけます。
展示の感想や質問など、なんでもご投稿ください。
https://forms.gle/99HxxywMwRFVeDHS9

Clara SPILLIAERT

1993 東京都生まれ、ベルギー・ゲント市在住
2014 LUCA School of Arts ファインアーツ 版画/ドローイング科 卒業
2015 LUCA School of Arts ファインアーツ 視覚芸術科 修了
2021 LUCA School of Arts ファインアーツ ガラス/陶芸科 卒業

個展
2022 「くらら せきらら」現代芸術振興財団(東京)、「Sekirara」LLS Paleis(ベルギー・アントワープ)

グループ展
2021 「Rising Stars」銀座蔦屋書店アトリウム(東京)、「Beauty and the Beast」SEAS CC Scharpoord(ベルギー・クノック=ヘイスト)、「Publiek Park」Vrienden v/h S.M.A.K.(ベルギー・ゲント)
2020 「CAF賞2020」代官山ヒルサイドフォーラム(東京)、「Condition Report」Vandenhove Centre for Architecture and Art(ベルギー・ゲント)
2019 「Zomer residentie Carré」LUCA School of Arts(ベルギー・ゲント)、「Kunst Kijken in het Begijnhof」 Begijnhof Ter Hoye(ベルギー・ゲント)、「Moving Word」Art Cinema OFFoff(ベルギー・ゲント)
2018 「MUREN, 950 jaar Geraardsbergen」(ベルギー・ヘラールツベルヘン)
2016 「Atlantis na Plato」Croxhapox(ベルギー・ゲント)、「Image Forum Festival」シアターイメージフォーラム(東京/京都)
2015 「Shame」Museum Dr.Guislain(ベルギー・ゲント)、「Jonge Kunstenaars 2015」Sint-Lukasgalerie(ベルギー・ブリュッセル)、「Rotterdam International Filmfestival」 (オランダ・ロッテルダム)
2014 「Angst Essen Seele Auf, Zwarte Zaal」(ベルギー・ゲント、ドイツ・ビーレフェルト)、「Dark Chambers – On Melancholy And Depression」Museum Dr.Guislain(ベルギー・ゲント)
2013 「ITHAKA 21 Monumental」(ベルギー・ルーヴェン)「De Witte Muur」 Sphinx Cinema(ベルギー・ゲント)

賞歴
2020 「CAF賞2020」最優秀賞

出版物
2021 「SEKIRARA」MER. Borgerhoff & Lamberigts

Contemporary Art Foundation